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養母玉子さんの遺影を手にする渡部武さん=福島県いわき市で

養母玉子さんの遺影を手にする渡部武さん=福島県いわき市で
「暖かくなったら連れて帰るから」。福島県川内村の渡部武さん(66)には、東電福島第一原発事故で県内を避難中に亡くなった養母玉子さん=当時(88)=と交わした約束を果たせなかった悔いが今も残る。「少しでも事実が明らかになれば」と願いを込め、裁判の行方を見守る。
玉子さんは事故当時、大熊町の双葉病院に隣接する系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」で暮らしており、今回の裁判で犠牲者とされる入院患者ら四十四人の一人。
武さんは三十日朝、出勤前の自宅で「(三被告は)無罪主張を通すのだろうが、事故を予測できなかった、では納得できない。誰かが責任を取らないと」と話した。裁判を傍聴したい思いもあるという。
政府や国会の事故調査委員会の報告書によると、玉子さんの避難開始は事故から三日もたった二〇一一年三月十四日午前十時半ごろ。玉子さんら百三十二人はバスで南相馬市に向かった後、福島市を経由し午後八時ごろ、いわき市の高校体育館に到着。移動距離は二百三十キロ以上で、車内で三人が亡くなった。関係機関の連携不足も相次ぎ、避難は混乱した。
玉子さんはさらに移動を強いられ、磐梯町に向かうバスの中で十六日夜、急性心筋梗塞のため亡くなった。警察官からは「長距離移動や温度変化が原因」と告げられた。
武さんは三歳の時、実父の妹、玉子さんの養子になった。「子ども好きで面倒見がよく、親戚の子どもの学校行事に顔を出したり、けがをしたら看病に駆け付けたりしていた」。施設に入ったのは事故の数年前。面会に行くと満面の笑みを浮かべたが「川内に帰りたい」と何度もせがんだ。
武さんが一一年五月ごろには連れて帰ろうと準備をしていたさなか、事故は起きた。なぜすぐ避難できなかったのか、どういう経路で避難したのか、責任はどこにあるのか。疑問は残ったままだ。
事故直後は「東電に殺されたようなもの」と思っていたが、最近は「(当時の)会長や副社長と面識はないし、こいつが悪いとも言えない」と心境は複雑だ。「とにかく東電には同じ事を繰り返さないようにしてほしい」と遺影を見つめた。

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