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旅行も外食もなし。服も買わない。阪神大震災から21年、生活をとことん切り詰め借金返済に努めてきた。それでも残額はあと1千万円。「この先10年、90歳まで働かないと返せない」。
神戸市兵庫区のクリーニング店。78歳の女性は寂しくつぶやいた。
80歳の夫と、同区と須磨区で営むクリーニング店が大震災に見舞われたのは、銀行から二千数百万円の融資を受け機械を総入れ替えした2年後。
自宅や店舗の改修費、当面の生活費など、市からの災害援護資金250万円のほか、銀行などからも借り入れ、借金の総額は4千万円を超えた。
震災前の経営は順調で、売り上げは年間1400~1500万円。震災直後も自宅で洗濯ができない人々から注文が入り、友人のクリーニング店の応援を受けて営業した。1千万円程度を確保し、十分に返せる計算だった。
しかし、売り上げは下がる一方。震災10年後の2005年には700万円を切り、ここ数年は300~350万円まで落ち込んだ。顧客が土地を離れ、不景気が追い打ちをかける。「みんな家で洗濯するようになった」
3店舗を2店舗にし保険も全て解約した。借金の返済には2カ月に1度入る2人分の年金二十数万円を充てるが、電気代やガス代、店舗の家賃、自宅の借地代の支払いが滞ることもたびたびだ。
売り上げの減少は、一緒に働いていた弟(65)も直撃した。収入がなくなり、3人の子どもは大学への進学を諦め、妻とは離婚。住宅ローンを抱え、朝は新聞配達、昼は警備員、その合間に「給料はいらないから早く返済しろよ」とクリーニング店を手伝う。
女性は「何もかも狂ってしまい、しんどくて笑うしかない。90(歳)まで働いても返済するのは意地。でも、いつ倒れるか」と話す。
今年に入り災害援護資金は返済免除要件拡大で残額約90万円が償還免除に。それでも多額の債務は残る。
「戦争を乗り越えてきた世代だから意外と強いの。お客さんとの会話や温かな風呂に幸せを見いだすの。せっかく生きているんだから、楽しみもなくちゃ」と笑うが、爪に火をともす生活は続く。
(北上支局・礒崎真澄)
(終わり)
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