http://www.shinmai.co.jp/news/20151231/KT151229ETI090007000.php

 2015年が暮れてゆく。振り返ると、安倍晋三首相がいよいよ「らしさ」を発揮し始めた年だったと言えるだろう。

 首相は「憲法違反」とする学者らの声を振り切って、集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法案を成立させた。

 施行から1年が過ぎた特定秘密保護法は政府の意思決定のプロセスを秘密のベールの向こうに隠している。法案審議のときから心配された通りの展開だ。

   <民間への口出し>

 経済政策では民間に対し政府が口出しする場面が増えた。

 政労使会議や「官民対話」で企業に対し繰り返し、賃上げや設備投資を促している。女性活躍推進法は企業に女性管理職登用の数値目標設定を義務付けた。

 首相が使う言葉の一つに「瑞穂の国の資本主義」がある。首相によると、強欲を原動力とするのではなく、道義を重んじ真の豊かさを知る日本にふさわしい市場主義の形なのだという。

 首相の手法は全体に国家主義的な色彩が濃い。国家=政府が前面に出て事を進めていく。祖父である岸信介元首相の政治スタイルとの類似を指摘する人も多い。

 首相は自らの国家観を著書「新しい国へ」に書いている。

 「個人の自由と国家との関係は、自由主義国家においても、ときには緊張関係ともなりうる。しかし、個人の自由を担保しているのは国家なのである」。国家の機能が他国の支配によって停止させられれば個人の自由も制限されてしまうではないか、と。

 国家が国民の自由を守る―。憲法の教科書では「国家による自由」と呼ばれる側面だ。

 個人と国家の関係には、実はもう一つの側面がある。「国家からの自由」。主権者である国民には国家による強制や干渉を拒む権利がある、との考え方だ。

 日本の憲法には、思想・信条の自由、学問の自由、表現の自由など「国家からの自由」についての手厚い規定がある。

 政府は2月、シリア取材を計画していた新潟市在住のフリーカメラマンに旅券(パスポート)の返納を命じて渡航を阻止した。旅券法の生命保護規定に基づく命令とされた。憲法が保障する「渡航の自由」との兼ね合いで議論を呼んだケースだった。

 先の戦争で国民は政府の言うがまま戦場に駆り立てられた。

 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し…この憲法を確定する」。憲法前文である。戦後日本社会の仕組みは国家主義の過ちの反省に立っている。

   <沖縄からの問い>

 首相は以前、国会で述べている。国民の人権、自由を守るのは国家、との持論を展開したあと、「その国家自体の危機が迫るときは国民の皆さまにも協力をしていただかなければ」。

 「国民のための国家」はひとつ間違うと「国民は国家のため」に反転する。その危険性がこの答弁からも読み取れる。

 自民党が3年前に発表した改憲草案には緊急事態条項がある。首相が宣言すると、内閣は法律と同じ効力を持つ政令を発することができる。国民は従う義務を負う。憲法停止に近い状況になる。

 首相の言う「国家による自由」の内実が鋭く問われているのが、沖縄・普天間飛行場の問題だ。県民の意思を無視して辺野古移設を進める政府に対し、沖縄県が裁判で争っている。

 法廷での翁長雄志知事の言葉が重く響く。「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々と価値観を共有できるのか」

   <針路決める参院選>

 終戦の4カ月前にフィリピンで戦死した若き詩人、竹内浩三の「骨のうたう」を思い出す。

 〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや/だまって だれもいないところで/ひょんと死ぬるや…〉

 国家=政府が戦争を決断したとき、国民は「ひょんと死ぬ」ことを覚悟するほかなかった。70年余り前のことである。

 憲法学者奥平康弘さん、哲学者鶴見俊輔さん、漫画家水木しげるさん、作家野坂昭如さん…。今年亡くなった人たちだ。生涯を通じ国家とは何か、国家とどう向き合うかを問い続けた。

 水木さんの口癖「怠け者になりなさい」は、国や世間が何を言おうと自分を大事にせよ、との意味にも受け取れる。

 野坂さんは亡くなるその日まで月刊誌に日記スタイルの随筆を書いていた。最後の日、12月9日付はこの一文で結ばれている。

 「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」

 来年は参院選の年だ。与党が勝てば首相はいよいよ憲法改定を視野に動きだすはずだ。

 来年は憲法公布70年の節目でもある。改憲への歩みを止めるために政治の動きを厳しく見守ろう。