http://www.kahoku.co.jp/special/spe1141/20151129_01.html
http://storage.kahoku.co.jp/images/2015/11/29/20151129kho000000042000c/001_size4.jpg
仮設住宅の催しで作った芋煮を住民に手渡す久保さん
◎久保香帆さん(いわき市)からトシ江さんへ
香帆さん 毎年、長期の休みで帰省した際、優しくて料理上手だった祖母が出してくれた自家栽培の野菜や、海の幸の味が忘れられません。
祖母の家は海沿いにあったので、震災発生時、連絡が取れなくなり、心配しました。でも「100歳まで生きる」と言うほど元気だった祖母。きっと大丈夫だと信じていました。
◎原発事故で面会へ行けず無力感
3日後、岩手県山田町に住む叔母が祖母を発見しました。亡くなったなんて全く実感できませんでした。
すぐに釜石に行ってあげたかったのですが、福島では東京電力福島第1原発事故が発生し、家に閉じこもりました。面会できたのは10日以上後でした。
震災の時に無力だったことが悔しくて、進学した福島大では学生団体「災害ボランティアセンター」に入り、被災者支援に携わってきました。
ことし6月から、学生2人が福島市内の仮設住宅に住み込んで避難者をケアする「いるだけ支援」を始めました。私は企画から関わり、活動の統括をしています。
仮設住宅でイベントを催しても参加者はいつも同じ。本当に支援が必要な人はなかなか見えてきません。
同じ境遇で生活するからこそ、家でふさぎ込んでしまっている人と交流を持つことができ、悩みも引き出せていると思います。
祖母にはあのとき何もしてあげられませんでした。けれども、その分頑張って活動している今の姿を、天国から見てほしいですね。
(日曜日掲載)
<久保トシ江さん>=当時(88)=釜石市平田で1人暮らしをしていた。毎年、夏と冬に息子夫婦と孫の香帆さん(21)らが帰省するのを心待ちにし、温かい手料理でもてなした。家の目の前は大海原。避難は間に合わず、家の中で津波に襲われた。
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仮設住宅の催しで作った芋煮を住民に手渡す久保さん
◎久保香帆さん(いわき市)からトシ江さんへ
香帆さん 毎年、長期の休みで帰省した際、優しくて料理上手だった祖母が出してくれた自家栽培の野菜や、海の幸の味が忘れられません。
祖母の家は海沿いにあったので、震災発生時、連絡が取れなくなり、心配しました。でも「100歳まで生きる」と言うほど元気だった祖母。きっと大丈夫だと信じていました。
◎原発事故で面会へ行けず無力感
3日後、岩手県山田町に住む叔母が祖母を発見しました。亡くなったなんて全く実感できませんでした。
すぐに釜石に行ってあげたかったのですが、福島では東京電力福島第1原発事故が発生し、家に閉じこもりました。面会できたのは10日以上後でした。
震災の時に無力だったことが悔しくて、進学した福島大では学生団体「災害ボランティアセンター」に入り、被災者支援に携わってきました。
ことし6月から、学生2人が福島市内の仮設住宅に住み込んで避難者をケアする「いるだけ支援」を始めました。私は企画から関わり、活動の統括をしています。
仮設住宅でイベントを催しても参加者はいつも同じ。本当に支援が必要な人はなかなか見えてきません。
同じ境遇で生活するからこそ、家でふさぎ込んでしまっている人と交流を持つことができ、悩みも引き出せていると思います。
祖母にはあのとき何もしてあげられませんでした。けれども、その分頑張って活動している今の姿を、天国から見てほしいですね。
(日曜日掲載)
<久保トシ江さん>=当時(88)=釜石市平田で1人暮らしをしていた。毎年、夏と冬に息子夫婦と孫の香帆さん(21)らが帰省するのを心待ちにし、温かい手料理でもてなした。家の目の前は大海原。避難は間に合わず、家の中で津波に襲われた。
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