とまれ、平成はその翌日に始まり三十年余。思えば、呱々(ここ)の声を上げた嬰児(みどりご)が大人に、紅顔の美青年が厚顔な中高年になるほどの時間です。社説で言えば、平成時代にざっと二万本が書かれた勘定。本稿が最後の一本かと思えば、いささかの感慨を禁じ得ません。
◆原発に制御されている
あれだけのことが起きたのに、なかったことにするつもりか、政府はなお原発「維持」に拘泥しています。もはや時代遅れ、安全性どころか経済合理性だって大いに疑問です。事故当事国の日本こそ真っ先に方向転換し、再生可能エネルギーに未来の活路を見いだすべきだったのに、今や他国に相当後れをとっています。
◆何でもないことの平安
「行ってきます」と出て行った子が「ただいま」と帰ってくる。夕餉(ゆうげ)の食卓には家族の顔がそろう。電車は時間通り動き、パン屋にはパンが並び、コンビニにはビールや弁当やお菓子があふれ、夜の街ではネオンがまたたく。故郷の家にずっと暮らすことができて、日本の産品は「安全」の代名詞のように諸外国に扱われる…。
考えてみれば、戦争ほど、人々の営みの「当たり前」を奪い去るものはありません。過去の戦争では、どれほどの「行ってきます」が「ただいま」に帰り着けず、どれほどの「お帰りなさい」が重くのみ込まれたまま沈黙の淵(ふち)へと沈んだか。食べるものがある、住む所や働く所、学ぶ所がある。そうした無数の「当たり前」を戦争は燃やし、壊しました。
◆「戦後」を脱却させない
高浜虚子の名句を借りるなら、そうした私たちの誓い、願いこそが<平成令和貫く棒の如(ごと)きもの>であると信じます。少なくとも人間のやることで、人々のかけがえのない「当たり前」が奪われることがないように。「当たり前」の平安をかみしめながら、平成の背中を見送りたいと思います。