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2016年03月

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http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/hukko_yukue/fu1603261.jpg 「神戸の人間だから言えるアドバイス」
 1995年の阪神大震災やその後の大店法廃止、世界金融危機などの荒波を乗り越えてきた商店主2人は、こう切り出した。
 人通りの多い神戸市東灘区の甲南本通商店街は、阪神大震災で8割が倒壊したが、3分の2の店が復活し店舗数もほぼ元に戻った。
 ひときわ目を引く真っ赤な看板の精肉店・神戸甲南サカヱ屋は、地域密着を重視し、昨年は兵庫県内の食肉小売店で初めて食品衛生管理の国際基準「HACCP(ハサップ)」認証を受けるなど、独自の商売を展開する。
 代表の海崎孝一さん(56)は震災後を振り返り「50代、60代なら、あと5年、仮設店舗で方向性を見極めた方がいい。慌てることはない」と力を込める。
 被災し商売をどうするか悩んでいた神戸の人々が、「復興」「復興」との風潮に乗せられて大きな借金を背負い、失敗していくのを山ほど見てきた。
 「20代から80代まで皆ゴールは違う。仮設店舗の期間延長は本来政治家の仕事だが、商店街の人々が声を上げて動かす手もある。将来を考える時間が必要だ」と話す。
 同市長田区の再開発ビル地下1階でにぎわう、食料品専門店・セルフ市場フーケット理事長の吉岡治さん(46)も「店舗本設はゴールではなくスタート。ハッピーなリタイアができる仕組みが必要だ」と力説する。
 再開発ビル群につくられた地上2階、地下1階の3層構造の商店街は一部シャッター通りと化し、活気のある店は少ない。
 その中で肉や魚、野菜などの専門店が協同組合方式で再建した同店は、競合スーパーにはない品ぞろえなど工夫を重ねる優等生的存在だが、初期投資や共益費など再開発ビル関連の維持費は重い。

 震災7年後、ビルに本設の店を構えた吉岡さんは「利益を上げてもみんな持っていかれ震災前の商売とは全く違う。早く商売がしたいとスタートばかり考えたが、どんな商売をしたいかもっと考えるべきだった。建物が建つまで長く感じるが、建ってからはもっと長い」と警鐘を鳴らす。

 神戸の再開発ビルを「悪い例」と言い切り、賃貸など商業者の負担を軽くする方策を訴える。
【写真=「無理な店舗本設で失敗した人をたくさん見てきた」と語る海崎孝一さん(中央左)=神戸市東灘区】

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http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/hukko_yukue/fu1603251.jpg それぞれつらい思いを抱え、励まし合い暮らした神戸市長田区の仮設団地は、きれいな公園に整備された。
 中学3年で阪神大震災に遭った長尾貴幸さん(36)は「今は懐かしい」と語り、母裕美子さん=当時(43)=が犠牲になった西市民病院へと歩を進めた。
 1月17日は進路相談日。入院中の裕美子さんは午前中に退院予定だった。早朝、採血を済ませて病室へ戻る廊下で被災し、他の患者が救出される中、1人だけ犠牲になった。
 貴幸さんは「進路相談さえなければ。俺が殺したのか」と自分を責めた。中学校卒業後、アルミ加工の工場に就職したが続かず、職を転々。何も楽しくなく、自殺を図った。
 どん底の17歳を救ったのはボランティアの青年だった。「おかん死んで、残されたおまえどうやった」と頭をたたかれ「はっ」とした。障害者介助などのボランティアに打ち込み、20歳の時「自分の生活をしっかりさせよう」と定職を探した。
http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/hukko_yukue/fu1603252.jpg 「母の死が誰のせいでもないと理解できるまでがしんどかった。でも、震災で家族の絆が強まり、巡り合いを大切にするようになった」と力強く生きる。

 貴幸さんが心配したのは妹の早川(旧姓・長尾)美幸さん(29)だった。小学校2年の少女から笑顔が消えた。当時「おかあさんを殺した地震が大きらい」と作文に書いた美幸さん。福祉を学ぼうと舞子高環境防災科に1期生として入学したが、多くの震災学習や体験発表が待っていた。

 「辞めたい」と思ったが、教師や友人の支えもあり「この学科に入ったからには震災と向き合わなければ」と考えるように。「自分の中で消化できなかった思い」が、やっと話せるようになった。
 「地震がなかったら出会えなかった人たちとつながっている。困ったら誰かが助けてくれる」と今は思う。
 一昨年、夫文章さん(34)との間に生まれた長男には「一人で生きているのではないという感謝の心を持ち、人と人をつなぐ存在になってほしい」と願い、結(つなぐ)と名付けた。
 妻の死で酒におぼれ、一家心中まで考えた末、被災高齢者見守り活動に没頭してきた政三(まさみ)さん(68)は「(次男誠さん=(34)=を含め)3人の子がいて今の俺がある。いなかったらどんな道を歩んだか」と、孫の笑顔に目を細めた。
【写真㊨=仮設住宅跡の公園で「母親の死が自分のせいではないかと悩んだ」と話す長尾貴幸さん=神戸市長田区】
【写真㊧=復興住宅で高齢者の食事会を開く父長尾政三さん(右)と談笑する早川美幸さん、結ちゃん=神戸市長田区】

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http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/hukko_yukue/fu1603241.jpg西岸を十数キロ南下すると、道路が拡幅された地域が広がる。阪神大震災震源地の南西に位置する旧北淡(ほくだん)町富島(としま)地区(現淡路市)だ。街並みは整っているが、幹線道沿いも、住宅地も空き地が目立つ。
 同地区は震災前、網道(あみみち)と呼ばれる幅1メートル程度の道路に沿って木造住宅が密集。震災で家屋の約8割、671棟が全半壊した。町が導入した区画整理事業は完了までに14年もかかり、地域課題の人口減少に拍車が掛かった。
 野島断層保存館副館長で震災語り部の米山(こめやま)正幸さん(50)は「昔は商店が軒を連ね、にぎやかだった。区画整理が長引き過疎化が進んだ」と肩を落とす。
 かつて、九州方面から生きた魚をいけすに入れて運ぶ「生船(なません)」の中継基地として栄えた同地区。対岸の明石市と客船が行き来する淡路北部の玄関口でもあり、ピークの1950年には食料品や雑貨店、旅館が並び、人口は4634人に上った。
http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/hukko_yukue/fu1603242.png 和菓子店だるま堂を営む高田一夫さん(69)は「材料は全て明石から運んだもの。子どもがたくさんいて、小学生は600人以上いた」と懐かしむ。
 だが60年ごろから海産物の運搬が陸路に代わり産業が衰退。急激に人口が減り、震災前月の94年12月には2273人となっていた。今年2月末には1420人にまで落ち込み、児童50人の富島小は今月末、141年の歴史に幕を閉じる。
 震災後導入した約20ヘクタールの区画整理事業は、早期再建を求める全壊家屋住民と減歩や換地に反対する倒壊を免れた人々が激しく対立。計画変更を繰り返し、完了は当初予定の99年から2009年にずれ込んだ。
 土地区画整理審議会長を務めた河野征弘さん(73)は「スピード感がないと皆出て行く。生活設計が立てられず、若い人ほど見切りが早かった」と振り返り「こんな町にしたい-という、若者の思いをくみ上げる場が必要だった」と反省する。
 商業エリアの構想もあったが、商店は住宅地に点在して自力再建し商店街は消滅した。
 高田さんは「商店主の意向がまとまらなかった」と無念をにじませ「経済的に自宅再建を諦める高齢者や家を建てても転出する人がいる。空いた土地はなかなか売れない」と隣のさら地を見つめた。
【写真=自宅に隣接する空き地の所有者から買い手の紹介を依頼されているが「なかなか見つからない」と話す高田一夫さん=兵庫県淡路市】

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http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/hukko_yukue/fu1603211.jpg 「ごみ、どこに放ったらええんや」「いつもの所やろ」
 エレベーターから降りてきた80代後半の女性をごみ集積所に案内した後、「今日はごみの日ではないんだけど」と坂上久さん(80)はロビーのソファに腰を下ろした。
 神戸市中央区の復興住宅コミュニティ春日野。管理人を任されているが、3年前の胃がんの手術や糖尿病の悪化でつえをつき小刻みにしか歩けなくなった。
 「昔は足の不自由な人の部屋からごみを集めた。でももうできへん」とため息をつく。
 63歳で入居後、休日は一日中ソファに座り住民の顔を覚えた。だが、ロビーで毎晩開いた交流の飲み会も10年ほど前にやめた。「48世帯中20人くらい死んだ。6人は孤独死。半年も気付かなかったこともあった」。空き部屋が出るたび郵便受けにテープを貼った。
 同住宅は市が20年の期限で借り上げた民間マンションで一昨年、空き部屋の大半が所有者に返され20戸が一般の若者らに貸し出された。坂上さんの横を無言で行き来する新住民。「若い者はもの言えへん」。交流はない。
 同市中央区の県営高層住宅1~4階にある大倉山コレクティブ・ハウジング。各階、「協同生活室」を中心に8戸がベランダで結ばれ32世帯分が設置された。
 「コレクティブ」は北欧で生まれた友人や多世代で共同生活を送る住居。阪神大震災後、兵庫県などが公営で建設し脚光を浴びた。
 しかし、代表の岩崎洋三さん(80)の表情はさえない。「家族、きょうだいのように暮らすはずが、共同生活を理解していない人を行政は入れてくる」
 1998年の入居後「5年一緒に住めば気心も知れるだろう」と、8人そろい料理をする食事会やお茶会を開き、旅行も企画。だが県は空室が出ると「60歳以上の単身者で自活可能」との条件で一般公募し輪は崩れ高齢化だけが進んだという。
 現在、2人は共同生活に無関心、1人が入院中、2人は介護が必要で共同生活どころではないといい「行政は、つくった限りは共同生活ができる環境を整えるべきだ」と岩崎さんは語気を強めた。
 NPO法人よろず相談室の牧秀一理事長(66)は「東北は神戸の今に近く高齢化は加速度的に進む。支援が必要」と警鐘を鳴らす。
【写真=住民の死亡など、空室が出るたびに貼っていたポストのテープは減った。だが、被災高齢者と新住民の交流はない=神戸市中央区・コミュニティ春日野】

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 90歳を超えるおばあさんが張りのある声で熱唱し、お年寄り十数人が代わる代わるマイクを握りカラオケを楽しむ。
 神戸市の中心街三宮から阪神電車で一駅。電車を降りて、高層の復興住宅18棟が並ぶHAT神戸脇の浜までは徒歩10分ほど。毎週土曜日の昼すぎからカラオケ大会を開く7号棟集会所では、地域の高齢者グループ「わかろう会」のメンバーがにぎやかに交流していた。
 7号棟の自治会長を務める塩月時佳(ときよし)さん(81)は「避難所、仮設住宅、復興住宅と移り住み、知らない人と付き合わなければならない。わかろう会は、その中で『お互いを知り合おう』という思いを込めた会だ」と説明する。
 「仮設を出るときは妻と仲の良かった女性住民が泣いた。新しい環境への不安や寂しさがあったのだろう」と話す塩月さんは、仮設住宅でも自治会の副会長を務めていた。
http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/hukko_yukue/fu1603202.png 自殺者や孤独死の身元確認に立ち合う日々が続き、住民同士の触れ合いの大切さを実感。復興住宅に移ってからも副会長を務めた。現在は3代目の会長で、住民らで組織する「脇の浜ふれあいのまちづくり協議会」の委員長でもある。
 「会長が亡くなると次の代が引き継ぐ。毎月役員会を開くなど、ここの運営はうまくいっている方。隣もその隣も、引き受け手がなくて自治会自体がつぶれた」と指さした。
 7号棟は高齢者を優先的に入居させた復興住宅。約90世帯の全てが65歳以上といい「みんな年金暮らし。『明日どないや』と聞くと、決まって『病院や』と返ってくる。もう少し誰でも入れる住宅だといいのだが」。
 大都市に立つ「限界集落の箱」のようだ。
 一昨年、4年間看病した妻に先立たれ1人暮らしとなった塩月さん。高齢者ばかりで寂しいとの指摘もある団地に「住宅地なんだから、静かな方がいい」とぽつり。鉄の引き戸を開け、部屋に入った。
【写真=毎週土曜日、カラオケ大会で交流を深める「わかろう会」の高齢者=神戸市中央区・HAT神戸脇の浜】

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