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 十代半ばの才能豊かなその少年は、ナチス・ドイツ占領下のオランダで、一台のラジオをつくった。母国の亡命政府による放送を家族に聞かせてあげるためだったという。受信妨害の向こうから聞こえてくる声には、自由の響きがあったはずだ▼少年は後にカセットテープの父となる。オランダ人技術者ルー・オッテンスさんである。九十四歳で亡くなった。訃報で初めて発明者であったと知ったが、欧州メディアによれば、電機大手に勤めた時の功績という。上着のポケットに入る大きさをイメージして開発したらしい▼あまり見なくなったが、忘れられない人は世界に多いはずだ。革命的なメディアである。音源が限られていた時代、自分だけの音楽の世界をつくり、持ち出してだれかと楽しむことも可能にした。やがて歩きながら聞けるようにもなる。自由を感じさせてくれたのがカセットテープだろう▼息を詰め、好きな曲の始まりに合わせて、録音ボタンを押していたのを思い出す。ツメを折り忘れて、音を消してしまったり、「四十六分」に収まらず、録音が途中で終わったり…失敗もまた、どこか自由を思わせて懐かしい▼オッテンスさんは控えめな方であったという。同僚をたたえている。家族にも功績について多くは語らなかったらしい▼入っていた音楽とともにカセット人気は復活しているようだ。恩恵は今なお。