https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20200813/KT200812ETI090013000.php

 一律の線引きにより被爆者の援護制度から取り残されてきた原告の多くが80歳を超えている。提訴後に亡くなった人も少なくない。救済が遠ざかり、裁判でさらに争わなくてはならないのは理不尽と言うほかない。

 広島への原爆投下の直後に降った「黒い雨」をめぐる裁判だ。援護対象区域の外にいた原告84人全員を被爆者と認めた地裁の判決に対し、被告の広島市、広島県と、訴訟に加わる国が控訴した。

 市と県は被爆者への健康手帳の交付を国からの法定受託事務として担う。審査に際して独自に判断する余地はない。形として市と県を相手取った裁判だが、問われたのは国の援護行政のあり方だ。

 控訴は、判決を「科学的知見に基づいたとは言えない」とする政府の判断による。一方で政府は、援護区域について拡大を視野に検証する方針を示し、市と県は原告以外の被害救済にもつながると判断して受け入れた。

 釈然としない。なぜ区域の見直しが控訴と引き換えになるのか。地裁判決は、線を引いて被害者を分け隔てる援護行政のあり方自体を否定し、置き去りにされてきた被害者の救済に道を開いた。その意義が損なわれている。検証の期限も示されていない。

 援護区域を国が定めたのは1976年。原爆投下から間もない時期の調査で大雨が降ったとされる地域を指定した。市と県はその後、独自の調査に基づいて区域の拡大を繰り返し求めたが、国が拒んできた経緯がある。

 判決は、混乱期の調査には限界があるとして国の区域指定そのものの妥当性を認めなかった。より広い範囲で黒い雨が降ったことは確実だと指摘し、一人一人の被害の実態を踏まえた被爆者認定の新たな枠組みを示している。

 降雨域の全体像を明らかにするのは困難だと述べたことも見落とすべきでない。明確に線は引けないということだ。範囲を限定するのでなく、原爆の影響が否定できなければ広く救済を図ることが基本でなくてはならない。

 長崎でも、指定区域の外にいたために被爆者と認められない被害者が救済を訴えて裁判を起こしている。不当な線引きによって差別される苦しみを当事者に負わせ続けるわけにいかない。

 政府は、黒い雨の援護区域の検証に向けて、専門家を含めた組織を設けるというが、区域ありきの議論にしてはならない。被爆者認定や援護行政のあり方を根本から検討し直すべきだ。