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来年から「スポーツの日」に名が変わる「体育の日」は、2000年に10月の第2月曜日に移されるまでは10月10日だった。1964年東京五輪の開会式が行われた日である▼55年前のその日、放送作家の向田邦子さんは父とけんかして家を飛び出し、部屋探しの最中だった。国立競技場を見下ろす場所に来て、 ちょうど聖火点火の場面を目撃し、涙があふれたという▼「オリンピックの感激なのか、三十年間の暮らしと別れて家を出る感傷なのか、自分でも判(わか)らなかった」と随筆に記した。34歳で初めての独り立ち。空襲や飢えも経験して迎えた人生の上り坂が、敗戦から夢中で走り続ける日本に重なったのかもしれな い▼高度成長の絶頂期。だが、既に都市の過密問題、その裏返しで置き去りにされた地方の過疎といった影の部分が現れつつあった▼英文学者で当時61歳の中野好夫さんは開会式の前日に東京を離れ、五輪期間中は栃木県でテレビを通じて祭典を眺めた。「オリンピック逃避行」につづられた感想は痛烈だ。「これだけの金、これだけの努力が、もしこの十年国民生活の改善、幸福の方へ向けられていたら、どんな結果が生れていたろうか」▼来年、2度目の東京五輪に、私たち はどんな感慨を抱くだろう。理念は東日本大震災の「復興五輪」だが、震災後も毎年のように列島は災害に襲われている。被災者の目にはどう映るのか。
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「これだけの金、これだけの努力が、もしこの十年国民生活の改善、幸福の方へ向けられていたら、どんな結果が生れていたろうか」?今回も同じ感想ですね。