http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201811/CK2018113002000271.html

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  第9次横田基地公害訴訟の判決を受けて発言する福本道夫原告団長=30日午前、東京都立川市で

 米軍横田基地(東京都福生市など)の騒音被害を巡る第九次横田基地公害訴訟で、東京地裁立川支部は三十日、過去の被害に対する賠償は認めたものの、夜間、早朝の飛行差し止めと、騒音被害がなくなるまでの将来分の賠償請求は退けた。原告の住民にはため息と怒りが交錯した。 (松村裕子、萩原誠)

 「差止(さしと)め認めず」「賠償勝訴」。午前十一時二十分、立川支部前の路上で弁護士が二枚の旗を広げた。集まった原告の住民や、全国で同種裁判を闘う人の間からは「金さえ払えばいいってことか」「私たちのつらさを、どうして裁判所は分かってくれないのか」などと声が上がった。

 原告の中里博文さん(64)=立川市=は「まるっきり期待外れというか、何も踏み込まず、新しいことはなくてがっかり。飛行差し止めについても今まで通りという感じで、人の情けのないような判決だ」。やはり原告の設計業菅原和夫さん(74)=昭島市=も「ある程度予想はしていたが、全く進歩のない判決で、憤りを感じる。結果は同じでも、先の見える何かがあればと思ったが、がっかりだ」と嘆いた。

 同市の無職原島清さん(77)は「窓を開けると何も聞こえない。オスプレイは振動も騒音もひどい」と被害がむしろひどくなっていることに顔をゆがめた。
 同市の無職花岡靖智さん(76)は「安保法がある限りだめだ。民事裁判ではどうにもできない。沖縄だけでなく、東京でも基地問題があることを知ってほしい」と話した。

◆「米に何も言えぬ政府 苦しみ住民に」

 「基地周辺住民はいつまで闘い続けなければならないのか」。第九次横田基地公害訴訟の原告団長・福本道夫さん(69)は、米軍機の飛行差し止めなどを認めなかった判決を聞き、唇をかんだ。

 伊豆大島で生まれ、三歳のときに家族で東京都昭島市に転居して以来、米軍機の騒音に苦しめられてきた。「一九七〇年代までは戦闘機が頻繁に飛び、エンジンを吹かす音で会話も勉強もままならなかった」。基地への飛来が戦闘機から輸送機中心に変わっても、被害は収まらなかった。

 都職員だった父・龍蔵さん=故人=は七六年提訴の第一次訴訟以来、原告団長を務めた。八二年に自身も原告に加わり、四年前からは第九次訴訟の原告団長に。父への思いも胸に、この日の判決に臨んだ。
 現在の住まいは基地のフェンスから直線距離で二キロ余り。「うるささ指数(W値)」が七五以上の区域からは外れている。だが「上空で旋回訓練をすれば騒音の激しさはどこでも同じ。判決は実態を反映していない」との思いを強くする。
 横田基地に十月、米空軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイが正式配備され、周辺住民に新たな懸念材料が加わった。福本さんは「遠くまで届くプロペラの音や振動は異質で強い不快感がある」と指摘した上で、決意を新たにする。
 「被害が続くのは政府が米国に何も言えず、その結果を私たちが負わされているからだ。一歩ずつ、半歩ずつでも解決に近づけるために闘うしかない」 (服部展和)


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