https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180930/KT180929ETI090008000.php

 銃を携えたイスラエルの兵士がロバの身分証を確かめている。覆面の美術作家バンクシーがパレスチナ・ヨルダン川西岸地区の「分離壁」に描いた絵だ。

 権力批判や反戦のグラフィティ(落書き)を世界各地でゲリラ的に制作しているバンクシーは、2000年代から分離壁に作品を残してきた。パレスチナに連帯する意思表明だ。

 ところが、ロバと兵士の絵を目にした地元の男が「俺たちはロバじゃない」と怒り、壁の一部ごと切り取って売り払おうとする。公開中の映画「バンクシーを盗んだ男」は、1枚の絵をめぐるドキュメンタリーである。

 絵を描いたからって壁がなくなるわけじゃない、くそくらえだ―。盗んだ男は吐き捨てる。激しい言葉が、軍事占領下で生きる人々の、やり場のない憤りと屈辱感を浮かび上がらせる。

 イスラエルの建国によってパレスチナの人々が故郷を追われてから70年になる。帰還はかなわず、その後、西岸とガザ地区が占領されてからも半世紀が過ぎた。

 状況が変わらないばかりか、パレスチナの人々を一層窮地に追いやる動きが強まっている。とりわけ、イスラエルで7月に成立した「ユダヤ人国家法」は重大だ。

   <基本法による排斥>

 憲法の役割を果たす基本法の一つである。イスラエルを「ユダヤ人の国民国家」と規定し、自決権はユダヤ人のみが持つと定めた。さらに、入植地(ユダヤ人の居住区)を国益と位置づけて、占領地で建設を推進、強化することを打ち出している。

 パレスチナ難民の帰還は認めない。占領地もユダヤ人の土地である―。そう宣言しているに等しい。イスラエル国内に住むパレスチナ人にとっては、居場所はないと退去を通告されたも同然だ。

 アパルトヘイト(人種隔離)体制だと国内外で批判が出ている。ユダヤ人、パレスチナ人らの若手による交響楽団を創設した指揮者バレンボイムは「イスラエル人であることを恥じる」と語った。

 後ろ盾である米国の政権交代が右派を勢いづかせた。露骨にイスラエルに肩入れするトランプ政権は、国連決議で領有が認められていないエルサレムを首都と認定し、大使館の移転を強行した。イスラエルへの偏見を理由に国連の機関からも離脱している。

 パレスチナに対しては、国連の難民救済事業機関(UNRWA)への拠出を中止し、自治政府への支援も打ち切った。食料援助のほか、多くの学校、診療所を運営するUNRWAは深刻な財政難に陥っている。各国の追加拠出で当面の活動停止は免れているが、先行きが見えない状態は続く。

 パレスチナの暫定的な自治を取り決めた1993年のオスロ合意は、「2国家共存」に向けた画期となった。けれども、難民の帰還や入植地の問題は棚上げされ、四半世紀を経て進展はない。

 名ばかりの自治の下、入植地は拡大し続けている。占領地に自国民を移住させることは国際法に反する。にもかかわらず、入植者はオスロ合意当時の3倍近い、60万人にまで増えた。パレスチナ人の生活圏は分断され、入植地を警護するイスラエル兵による暴力や不当な拘束も絶えない。

   <声上げ続ける人々>

 ガザは封鎖が10年以上続き、イスラエルは軍事侵攻を繰り返してきた。難民の帰還、封鎖の解除を要求して3月末から続くデモにイスラエル兵は銃を向け、180人以上が死亡している。

 「共存」の土台は壊され、オスロ合意の崩壊は決定的になっている。圧倒的な力によって、パレスチナの人々がねじ伏せられているようにも見える。

 だが、孤立を深めているのはむしろイスラエルと米国の側だ。エルサレムに大使館を移した米国に追随する国はほとんどない。イスラエルに対する国際社会の批判は厳しさを増し、製品の不買や企業取引の停止を呼びかける運動は世界に広がっている。

 ユダヤ人社会にも変化がある。米国ではイスラエルを無条件に支持してきた主流派に背を向ける若い人が増え、新たな組織が結成されている。イスラエルでも、ユダヤ人の国家ではなく「すべての市民の国」を求める声が若い世代の間で高まっているという。

 そして何よりパレスチナの人々は、尊厳や生きる権利を押しつぶそうとする力に抗して声を上げ続けるだろう。数年前に来日したガザの弁護士ラジ・スラーニが「おとなしい犠牲者」にはならないと話していたのを思い出す。

 人々の連帯によって「すべての市民の国」を実現し、パレスチナの不公正な現状を変えることはできないか。そのための行動をどう積み重ねていくかを考えたい。