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 冤罪(えんざい)を防ぐための改革が、今までなかった冤罪を生み出す。だとすれば本末転倒も甚だしい。

 改正刑事訴訟法が国会で成立した。警察・検察による取り調べの録音・録画(可視化)の一部義務付けは前進だが、司法取引が導入された。当局に盗聴が許される範囲も拡大した。
 司法取引も盗聴も冤罪の温床と称される。危険は一気に増大した。これではいったい何のための改革なのか。法の廃止を参院選の争点にすべきだ。少なくとも運用を厳しく監視し、検証して再び法改正すべきだ。
 改正法は問題が多過ぎる。そもそも「改正」とは称し難い。
 まず可視化を極めて限定的にした点だ。裁判員裁判事件と検察特捜部の独自捜査事件だけが対象で、全事件の3%程度にすぎない。対象事件でも、取調官が「十分な供述が得られない」と判断した場合は例外だ。逮捕前の任意段階も対象外である。すると、肝心の自供に至る過程は可視化されない。
 これでは恣意(しい)的な運用を勧めるようなものだ。印象操作は容易にできる。司法当局が見せたい場面だけを法廷で映し出せばいい。
 栃木女児殺害事件の公判では、偽ブランド事件で別件逮捕された被告が、その事件の取り調べで殺人も自供したとされるが、その場面の映像はない。殺人での取り調べで供述する場面だけが法廷で再生された。その映像の衝撃は大きく、客観的証拠が全くない中、裁判員が有罪を言い渡す決め手になったとされる。
 やはり全事件、全過程を可視化すべきだ。デジタル技術の進展で録画費用は低減している。少なくとも冤罪を防ぐ効果の方が、費用をはるかに上回るはずだ。
 司法取引の導入はそれ以上に問題だ。自らの罪を免れるために虚偽の供述をし、無実の他人を巻き込む。そんな事態が容易に想像できる。事実、冤罪の2割は司法取引での証言が原因という米国での研究もある。そもそも他人を売れば自分は助かるという仕組みが許されるのか。
 盗聴拡大も危険だ。例えば、対象者の隠しておきたい事情を盗聴でつかんだ当局が、これを公表すると脅して別件の自供を強要する。そんな可能性も考えられる。
 知れば知るほど危険は大き過ぎる。一度できた法の廃止は容易ではないが、冤罪防止の原点に戻り、早急に見直しを議論すべきだ。