http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0218479.html

冷たい風が吹く中、安保法廃止を求め、通勤客が行き交う朝の路上に立つ釜鈴実さん(村本典之撮影)

 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法をめぐり、国内が揺れた2015年。平日の毎朝、札幌市の路上に無言で1時間立ち、法の廃止を求め続ける男性がいる。市営地下鉄の麻生駅(札幌市北区)近くで、プラカードを胸に下げて立つ「一人デモ」を始めて4カ月。「諦めていないのはあなただけじゃない。ここにもいる」と、無言で訴えている。

 「最初は10分ごとに時計を見ていたけれど、今は体の冷え具合で1時間たったのが分かる」。札幌市内の気温が1度近くまで下がった22日朝、麻生駅の地上出入り口前。札幌市北区の釜鈴(かますず)実さん(78)は、体を温めるため小さく足踏みしながら話した。

 一人デモを始めたのは、法案が参院で審議されていた8月31日。午前7時半から1時間、安保法案の反対集会でもらったチラシを服に張り付け、無言で立った。麻生駅にしたのは自宅から近い上、石狩市方面に接続するバスがあり、平日の朝なら大勢の通勤客に見てもらえると思ったからだ。

 最初の2カ月は、誰も目を合わせてくれなかった。「変なやつと思われたんでしょうね」。3カ月を過ぎたころ、小さく会釈したり、目であいさつしてくれたりする人が少しずつ現れた。そのうち、近くのビルのオーナーが「荷物を置いて」とガレージの一角を貸してくれた。雨風でチラシが破れると、友人が「戦争法廃止」と印刷した紙を段ボールに張り、プラカードを作ってくれた。

 マイクで反対を訴えようかと迷ったこともあった。そんな中、話しかけてくれる人も増え「何も言わないからこそ、伝わるものがあるのかなあ」と感じ、無言を貫くことにした。
 胆振管内厚真町の出身。小学校の教員や業界紙の記者、ホテルのフロントなどを経て、50代の時に、当時珍しかった高齢者と障害者が共に暮らす下宿を札幌で経営した。

 戦後平和主義に共感を覚え、それを揺るがす政治には「ずっと抵抗してきた」。札幌の印刷会社で働いていた70年安保闘争時は、労働組合の仲間と反対運動に打ち込んだ。高齢者下宿を経営していた2003年に自衛隊のイラク派遣が決まると、翌年、反対のメッセージを身に付け通勤した。

 そして今年9月19日の安保法成立。「多くの国民の意思とは逆に、戦前へ回帰している」と怒りを感じた。すぐにやめるつもりだったデモを「ここでやめたら死ぬまで悔いが残る」とその後も続けた。

 自分を見て、安保法に賛成する人が反対に回ることまでは期待していない。それよりも時が過ぎ、法成立直後の怒りが薄れつつある人に自分の存在を知ってほしい。「消えかかっている火を絶やさせないことが俺の役目」と語る。20年続けてきた高齢者下宿の経営を今年11月、長男に譲った。「ひまなじいさんだから、次の選挙までは続けたい」(報道センター 久保田昌子)