小沢氏無罪判決をどう見るべきか
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2012年4月28日 郷原信郎


政治資金収支報告書への真実記載義務を会計責任者・職務補佐者に課し、代表者には会計責任者の選任・監督両方に過失がある場合の罰金刑のみ定めている現行政治資金規正法の下では、代表者が虚偽記入の共犯の責任を負うのは、具体的な指示等の関与があった場合に限られる。本件では代表者の小沢氏の刑事責任追及は困難だというのが刑事司法関係者の常識であり、検察の二度にわたる不起訴も当然の判断であった。
今回の判決は、そういう「当然の判断」を、法解釈論で一刀両断的に行うのではなく、虚偽記入の犯意を根拠づける具体的な事実の認識の面から丁寧に行っている。陸山会の収支報告書の収入の欄に、小沢氏からの4億円の借入金が一つは記載されている。それを小沢名義での「銀行からの借入金」と小沢氏からの借入金と二つ記載しなければならなかった、というのが、検察及び指定弁護士の主張だ。しかし、仮に、それが認められたとしても、小沢氏の側に、二つの記載が必要だという認識があったことを根拠づける証拠がないというのが無罪の理由だ。
小沢氏の方は「不動産取得に必要なのは4億円弱であり、それを自分の側で提供した」という認識で、その4億円の借入金の記載が行われていれば特に問題はないと思っていた、というのが常識的な見方であろう。ここは、収支報告書の虚偽の認識に関する重要なポイントであり、判決の指摘は適切だ。
その一方で、判決は、検察審査会の議決や指定弁護士の主張の中で共謀の根拠とされた事実も相応に認定し、それらの主張が的外れではないという評価を行っている。この裁判が検察審査会という市民の議決に基づいて行われたものであることや、小沢氏に対する批判的世論にも配慮したものと思われる。
一見すると有罪と紙一重の判断であるかのように見えるが、無罪の結論は裁判所にとって、既定の当然の判断で、有罪とは相当な距離があった見るべきであろう。控訴しても、無罪の結論が覆るとは考えにくい。
しかし、当然の無罪判決に至るまでには、多くの紆余曲折があった。
3年余り前、当時野党第1党党首であった小沢氏の秘書を比較的少額の政治資金規正法違反で突然逮捕して始まった小沢氏関連の捜査は、迷走を続けた末、不本意な結果に終わった。その後、政権交代で与党幹事長の地位に就いた小沢氏 に対して遺恨試合のような形で特捜部が着手したのが陸山会事件であった。
当初、小沢氏から提供された不動産購入代金4億円の原資がゼネコンからの裏金との想定で石川氏と秘書3人を逮捕したが、裏金捜査は不発に終わり、4億円虚偽記入等の形式犯だけの立件となった。
検察としては、小沢氏不起訴は当然の判断だったが、それに納得できない特捜検事らは、検審の議決によって不起訴決定を覆すことを画策した。虚偽記入についての小沢氏への報告・了承を認める石川氏の取り調べ状況に関して虚偽の報告書を作成して検審に送付、素人の審査員は小沢氏の共謀を認定し、起訴すべきとの議決を出した。
検察が2度にわたって不起訴としているだけにより強く働くべき「推定無罪の原則」は殆ど無視され、指定弁護士の起訴によって被告人の立場に立たされた小沢氏はあたかも犯罪者であるかのように扱われ、党員資格停止など重大な政治的ダメージを受けた。
しかし、本件で、それ以上に致命的なダメージを受けたのが検察であった。小沢氏処罰に向けての画策が失敗に終わっただけではなく、ストーリーの押し付けによる不当な取調べ、虚偽の捜査報告書作成等の問題が表面化したことで検察への信頼は更に大きく失墜した。
本来、公訴権を独占する検察の権限抑制のために導入された起訴議決制度が、逆に政治的意図による捜査に悪用される危険性が露呈した。不当捜査の実態を改めて検証し特捜検察の在り方を根本的に改めるとともに、検察審査会についても、「推定無罪の原則」が働かない現状を前提とすれば、審査や議決の経過の透明化、被疑者・弁護人側からの弁解・反論の機会の保障など抜本的な制度改正を行う必要がある。