「日々担々」資料blog
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(日刊ゲンダイ2011/3/29)

「がんばろう」キャンペーンの裏に見え隠れする「危うさ」 [斎藤貴男「二極化・格差社会の真相」]


震災から2週間余りが経過した。放射能の恐怖にも怯えながら、私たちは「がんばろう! 日本」と、互いを鼓舞し合っている。
問題は頑張る方向だ。本来はそんなことを論じていられる場合ではない。今はただ死者を悼み、被災者が一日も早く日常を取り戻すための環境整備にのみ全力を傾けるべき時期だと思う。
だが不安なのだ。「がんばろう!」に込められた善意のポジティブ・シンキングが、逆に私たちの未来を狂わせてしまいかねないのではないか、と。
あえて書く。復興に臨んで経済大国の再現を夢見てはならない。身の丈に合った、ほどほどの国家社会を、今度こそ築き直すべきである。
なぜなら日本は地震国だ。国土が狭い上に山がちで、平野が少なく、地下資源にも乏しい。かつて植民地を求めて海外侵略にいそしんだ動機だった。植民地を失った戦後はアメリカの支配下で、彼らが殺しまくった朝鮮半島やベトナムの民衆の屍(しかばね)を糧としつつ、空前の高度経済成長を果たした。
国内でも水俣病をはじめとする公害禍を次々に生んだ。「くたばれGNP」の批判も束の間、農業を叩いて食料の輸入を促し、自給率を引き下げて工業製品による貿易黒字の埋め合わせに回した。
政策的に淘汰されたのは零細自営業だ。産業構造の再編成とは、すなわち巨大商業資本の利益の極大化を意味していた。
無理に無理を重ねて金儲けに邁(まい)進(しん)した日本。原発の乱立も規模の経済ばかりを重んじた結果だ。