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気になるニュースを転載しています。

2020年11月

https://www.minpo.jp/news/moredetail/2020112981368

 福島県が生んだ世界的偉人である野口英世の母・シカは一九一八(大正七)年十一月十日亡くなった。スペイン風邪によるものであったことは知られている。当時は「感冒」ないし「流行性感冒」と呼ばれた。

 この年の三月、米国で最初の患者が確認され瞬く間に日本を含め全世界に広がる。わずか八カ月で会津地方に及んだのだから、恐るべき伝染力だった。

  時は、末期だが第一次世界大戦中。各国は情報統制して患者や死者を秘匿した。中立国であったスペインは情報統制していなかったため悲惨な実態が報じられ、 病名に「スペイン」と名が付いた。世界保健機構(WHO)のような国際機関もなかったから、患者や死者の正確なデータはない。全世界の死者数の推計は二千 万人から五千万人と幅があり、研究者によっては一億人が死亡したという説もある。

 日本には内務省衛生局の調査結果が残されている。それによると、死者は約三十八万人に上った。罹患者は約二千三百万人で、これは当時の人口の四割以上の計算になる。学校、職場、陸海軍などでクラスター(感染者集団)が相次いで発生した。

 感染した人の日記や記録によると、作家の永井荷風は突然四十度の熱が出た。高熱が連日続き、万一を考え遺書を書いたと記している。「平民宰相」と呼ばれ初めて政党内閣を樹立した原敬首相は夜中に「三十九度五分」の高熱に見舞われた。

 皇太子だった昭和天皇にも及んだ。「昭和天皇実録」には「流行性感冒」と診断されたとあり、具体的な症状は記録されていないものの、熱発だったと思われる。

 スペイン風邪はインフルエンザ・ウイルスによるものであることが後に分かるが、いきなり高熱を発するのが特徴であったようだ。この点は現在の新型コロナウイルスの症状とは違うように見える。当時は公衆衛生が未発達。コロナと同様、特効薬もワクチンもなかった。

 当局は国民にうがい、手洗い、マスクの着用を呼び掛けたが、うがいは塩水。熱を冷ます氷すらない地域が多かった。夜間五人以上で出歩くことは禁止、興行など大勢の人が集まる場所への出入りを避けることも求めた。

 今はマスクは防疫力が高いものができ、消毒液があらゆる場所の出入り口に設置されている。進歩しているように見えるが、基本はスペイン風邪時代と変わらない。

 ただし、スペイン風邪のときと同じように、必ずしも防疫の決め手にはなってはいない。人同士の接触と飛沫防止は大事なことだが、感染拡大は人の移動による面が大きいとされる。そこに抜本的な策を講じることが基本だろう。

 拡大するコロナ禍を百年前と比べると、教訓を学び生かしてこなかったことがよく分かる。

(国分俊英 元共同通信社編集局長、本宮市出身)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/668838/

◆民主主義維持の瀬戸際


 日本学術会議会員の任命拒否問題は、日本という「法の支配」下の国にあって、総理大臣が、就任早々、公然と法律に違反し、その後も違法状態が続いている、という前代未聞の出来事である。

 既に670もの学術団体が抗議し、野党が批判し、法律の専門家らが問題を指摘している通り、日本学術会議法は、総理が、学術会議の「推薦に基づい て」、その会員の任命を行うことを定めている。学問の自由を守る観点から、「任命」が形式的なものに過ぎないことは、創設時の公選制から学会推薦制に法改 正がなされた1983年の国会でも、当時の中曽根総理らが明言しており、また、2004年に、現行の「コ・オプテーション方式」に再度、法改正がなされた 時にも変更はなかった。総理に法的に拒否権はないのである。

    ◆   ◆ 

 菅総理は、18年に極秘に作られた「内部文書」で、推薦された人を総理が必ず任命する「義務があるとまでは言えない」と勝手に法解釈が変更された ことを根拠に適法を主張しているが、そんなことが罷(まか)り通るならば、どんな法律も骨抜きにされてしまう。第一、誰がどう見ても、これは1983年の 国会答弁と矛盾しているが、現総理は、法解釈は一貫している、と強弁している。これは最早(もはや)、日本語そのものの破壊である。

 NHKのニュースウオッチ9に出演した菅総理は、キャスターから、6人の会員の任命を拒否した理由の説明を求められると、「説明出来ることと、出 来ないことってあるんじゃないでしょうか」「105人の人を学術会議が推薦してきたのを、政府が今、追認しろ、と言われるわけですから!」などと、机を叩 (たた)く身振(みぶ)りで怒りを露(あら)わにした。異様な光景だった。

 説明は当然、すべきであり、総理に追認せよと命じているのは法律である。従う以外に何があるのか?

 総理は、今回の一件について、「前例踏襲でいいのか」と再三、口にしているが、「前例踏襲」と「法律遵守(じゅんしゅ)」の区別さえつかないとす れば、総理大臣や国会議員の資質を欠くことはおろか、一国民としてもまったく非常識である。区別がついた上で、首相になったからには法律に違反しても構わ ないと考えているならば、立憲主義も法治主義も否定する、恐ろしい、独裁的な政治思想の持ち主である。

    ◆   ◆ 

 首相はその後、支離滅裂な学術会議批判を繰り返しているが、私たちは耳を傾けるべきではない。それは、DVやいじめの加害者が、自分の暴力を棚に 上げて、被害者のどこがどう悪かったからだと論(あげつら)うのと同じであり、それを聞かされた者たちは、やはり被害者にも問題がある、などという話を始 めてはならないのである。

 首相個人が、学術会議に対して思うところがあるというのは自由である。しかし、改革が必要であれば、国会で法改正をしなければならない。現に過去 2回、そうしてきたはずであり、気に食わないからといって法を犯し、そのあとで、国民に追認しろ!などと迫るのは言語道断である。

 この学術会議問題の最中、首相は、「パンケーキ好きの親しみやすいオジサン」という見え透いたプロパガンダと、露骨なメディア懐柔策として、番記 者との「オフレコ懇談会」を企画し、これに数多くのメディアが参加した。私は、学術会議問題を適切に批判している西日本新聞の社説を支持するが、だからこ そ、西日本新聞がこのオフレコ懇談会に参加したことには、強い失望と不信感を抱いたことを言っておきたい。

 私たちは、日本の民主主義を維持できるかどうかの瀬戸際にいるのである。


 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中に「日蝕」で芥川賞。「マチネの終わりに」で渡辺淳一文学賞。「ある男」で読売文学賞。本紙で連載された「本心」は来年刊行。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/668760/

 新型コロナウイルスの影響が長引く中、北九州市内の子ども食堂で は、弁当や食料を無料や安価で提供する支援が広がっている。密を避けるため食堂に集まるのが困難になり、代替策として始まったのが食料配布。縁のなかった 家庭とつながるきっかけも生まれ、10カ所程度の食堂が配布を続けている。ただ、まとめて食事を提供するより配布にはコストがかかり、新たな課題も見えて きた。

 八幡東区の尾倉市民センターで25日に開かれた子ども食堂「尾倉っ子ホーム」には、約30人の小中学生が集まった。飛沫(ひまつ)防止シートを挟んで友達と話したり、宿題をしたり。その後ボランティアの大学生や教師たちと食卓を囲み、スタッフ手作りの食事を楽しんだ。

 食堂は4年前から月2回開いてきたが、4月に政府の緊急事態宣言が出され、休止を余儀なくされた。このため6月からは弁当や食料を配布する運用に転換。今は弁当配布のほか、まだ食べられるのに廃棄される食品を企業から寄付してもらい提供する「フードパントリー」を毎週実施している。

 フードパントリーを始めた後、食堂利用者が10世帯ほど増えた。運営するNPO法人「フードバンク北九州ライフアゲイン」の原田昌樹理事長は「こ れだけ利用者が増えたのは食堂を始めて以来初めて。フードパントリーは困っている親子をいち早く把握して必要な支援につなげるきっかけにもなる」と話す。

   □     □

 市内の子ども食堂は現在33カ所。3月以降は全てが活動を休止したが、市によると現在は17カ所が食堂での食事を再開。うち3カ所はフードパントリーを並行している。フードパントリーだけの食堂は7カ所あり、今後10カ所ほどが並行していく予定という。

 ここでいうフードパントリーは、企業からの食材の寄付だけでなく弁当購入も含む。困窮家庭の食料需要は増える一方だ。6月ごろから市や企業などが購入費を支援する補助金を出し始め、活動が広がっていった。

 市は補助金を出す団体に対し、食料を提供する際には相談も受けるよう要請。家計や生活状況が悪化する家庭が増える中、子ども食堂を介して食事以外の支援にもつなげられるよう促している。

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 一部の補助金があるとはいえ、運営は厳しい。子ども食堂は通常、寄付などで調達した食材をスタッフが調理する。しかし弁当配布だと大半は衛生面な どを考えて弁当店などから1個数百円で購入するしかない。費用は調理提供の3~4倍にもなるという。補助金がいつまで続くかも分からない。

 子ども食堂を担当する市子育て支援課の長迫和宏係長は「コロナ禍で経済的に厳しい家庭が増え、食堂で配る弁当や食材は欠かせない支援になっている。寄付を集めやすい仕組みづくりなど、食堂の主宰者を疲弊させないための支えが必要だ」と話している。 (白波宏野)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/668797/

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 新型コロナウイルスの 影響に苦しむ労働者の間で、将来受け取る給与を実質的な担保にして現金を借りる「給与ファクタリング」と呼ばれる資金調達手段が広がっている。法規制がな いため悪質業者が横行しており、福岡県内では手数料が年利換算で千%超のケースも起きた。同県弁護士会有志は今春、被害弁護団を結成。金融庁などが警戒を呼び掛ける新手の「ヤミ金」の実態を探った。

 福岡県宮若市の男性(33)は月給20万円の清掃会社で働く。昨年夏、消費者金融への借金返済が追いつかず、インターネットで見つけた「給与ファ クタリング」を申し込んだ。給与をもらう権利を業者に手数料引きで買い取ってもらい、支給日後に全額買い戻す仕組み。最初はうまく回っていた。

 今年3月。コロナ禍で収入が減り、20社と少額取引を繰り返す自転車操業に陥った。月の途中で業者に3万円分の給与債権を売り、1万4千円を受け 取った。手数料1万6千円は額面のおよそ53%、年利に換算すると約1300%。会社には督促の電話が1時間置きにかかり、緊急連絡先にしていた実家にも 請求がきた。男性は「高いと分かっていたが、その場しのぎだった」と振り返る。

 この契約20社を取材すると、ほとんどが不通か屋号が変わっていた。うち1社は「保証人はいらない。職場の在籍が確認できれば契約できる」と説明した。

 ファクタリングは従来、建設やソフトウエアなどの中小事業者に、運転資金のつなぎなどで利用されてきた。主に「債権譲渡(売買)」の契約となるため、貸し付けの上限金利などを定めた貸金業法や利息制限法などの規制はなく貸金業のような登録もいらない。悪質業者はその穴を突いてきた。

 福岡県弁護士会は今春、消費者委員会の有志で「給与ファクタリング被害弁護団」を発足。今年2回行った電話相談窓口には約10件の被害が寄せられた。7月には全国で初めて、大阪府警が貸金業法違反(無登録営業)容疑で給与ファクタリング業者を摘発している。

   ×    ×

 一方、取引先から代金を受け取る権利(売掛債権)を現金化する「事業者向けファクタリング」には、ノンバンクから地方銀行、メガバンクまで参入。 金融機関の関心は高いが、ここでも取引先に債権売却を通知しない手法での悪質業者の存在が指摘されている。「債権売却を知られれば信用を失う。被害も表面 化しにくい」(日本貸金業協会)という。

 福岡市の黒木和彰弁護士は「緊急事態宣言下に、クリニックで診療報酬を債権にした相談もあった。業者は利用者が破綻しても、泣きつく親や会社の上司から取れると勧誘してくる。金融庁や経済産業省も病理現象を把握しているが、特定の規制官庁がない隙間に入り込んでいる」と指摘している。 (座親伸吾)

https://tanakaryusaku.jp/2020/11/00024066

森から出てきたばかりのパルチザンたち。=29日、ラチン 撮影:田中龍作=


 12月1日をもって交通の要衝ラチンが戦勝国のアゼルバイジャンに引き渡される。

 アルメニアからカラバフに入るには、北部のカラバチャからと中部のラチンからとの2ルートがある。カラバチャはすでにアゼルバイジャンが陥れている。

 ラチン経由でアルメニア人がカラバフとの間を行き来することは、和平合意で認められているが、ラチンを支配することになるアゼルバイジャン側がチェックポイントを閉ざすのは容易だ。両国関係が緊張した場合、そうなるだろう。

 カラバフのアルメニア人は袋のネズミとなる。カラバフはイスラエルのコントロール下に置かれたパレスチナと同様になるのだ。

 今回の戦争でラチンの攻防は熾烈だった。地元住民によれば、連日、砲弾が降り注いだ。


仇敵のアゼルバイジャン軍が進駐して来てもラチン地区に残る住民たちが公民館に集まっていた。=29日、ラチン 撮影:田中龍作=


 ラチンを守るために50日以上も山の森にこもってアゼルバイジャン軍と戦っていたカラバフのパルチザンたち約10人が、きょう、山から降りてきた。

 アゼルバイジャンへの引き渡しを翌々日に控えたラチン地区を取材していた田中と地元記者は、彼らに出くわした。彼らはカラバフの人々から「ヒーロー」と呼ばれているのだそうだ。

 パルチザンの中には大学教員もいた。地元記者の恩師だったのだ。2人は抱き合って再会を喜んだ。

 森から出てきたと言っても戦いを止めた訳ではない。「食事をしてシャワーをあびて休息するために家に帰る」と恩師は話した。淡々とした口調だった。

 田中が「アゼルバイジャン軍がラチンの人々に嫌がらせをしたら、また戦いますか?」と尋ねると、「もちろん。またカラシニコフを持って戦う」と答えた。

 パルチザンたちが50日間も森で戦えたのは、食料を届ける地元住民がいたからだ。

 別のグループはまだ森にこもっているという。

 ロシアが仲介した和平合意により、とりあえずの停戦となった。だが、事実上、土地を奪われた民族の憎しみがある限り、戦争は終わらない。


商店主の老婆は戦争中も兵士や住民に食料を提供した。「金は後でいいよ」と言って。ドアのガラスはアゼルバイジャン軍の銃撃で割れていた。=29日、ラチン 撮影:田中龍作=


     ~終わり~

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