ttammakko24のblog

気になるニュースを転載しています。

2015年12月


 子育てと親の介護が同時進行となる「ダブルケア」に数年先に直面しそうだと考えている母親が14%いることが30日、ソニー生命保険の調査で分かった。過去に経験したり現在直面したりする母親は8%いた。
 ダブルケアは、精神的体力的な負担が増すほか、経済的な困窮を招くこともある。出産年齢が上がり、親世代が長生きになったことなどで今後増加が予想され、子育てと介護の両方を見通した支援が求められそうだ。
 調査はことし8月インターネットで実施し、大学生以下の子どもがいる全国の20~50代の母親に過去の介護や今後の見通しなどを尋ね千人が回答。全国規模の調査は初めてだという。

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0218479.html

冷たい風が吹く中、安保法廃止を求め、通勤客が行き交う朝の路上に立つ釜鈴実さん(村本典之撮影)

 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法をめぐり、国内が揺れた2015年。平日の毎朝、札幌市の路上に無言で1時間立ち、法の廃止を求め続ける男性がいる。市営地下鉄の麻生駅(札幌市北区)近くで、プラカードを胸に下げて立つ「一人デモ」を始めて4カ月。「諦めていないのはあなただけじゃない。ここにもいる」と、無言で訴えている。

 「最初は10分ごとに時計を見ていたけれど、今は体の冷え具合で1時間たったのが分かる」。札幌市内の気温が1度近くまで下がった22日朝、麻生駅の地上出入り口前。札幌市北区の釜鈴(かますず)実さん(78)は、体を温めるため小さく足踏みしながら話した。

 一人デモを始めたのは、法案が参院で審議されていた8月31日。午前7時半から1時間、安保法案の反対集会でもらったチラシを服に張り付け、無言で立った。麻生駅にしたのは自宅から近い上、石狩市方面に接続するバスがあり、平日の朝なら大勢の通勤客に見てもらえると思ったからだ。

 最初の2カ月は、誰も目を合わせてくれなかった。「変なやつと思われたんでしょうね」。3カ月を過ぎたころ、小さく会釈したり、目であいさつしてくれたりする人が少しずつ現れた。そのうち、近くのビルのオーナーが「荷物を置いて」とガレージの一角を貸してくれた。雨風でチラシが破れると、友人が「戦争法廃止」と印刷した紙を段ボールに張り、プラカードを作ってくれた。

 マイクで反対を訴えようかと迷ったこともあった。そんな中、話しかけてくれる人も増え「何も言わないからこそ、伝わるものがあるのかなあ」と感じ、無言を貫くことにした。
 胆振管内厚真町の出身。小学校の教員や業界紙の記者、ホテルのフロントなどを経て、50代の時に、当時珍しかった高齢者と障害者が共に暮らす下宿を札幌で経営した。

 戦後平和主義に共感を覚え、それを揺るがす政治には「ずっと抵抗してきた」。札幌の印刷会社で働いていた70年安保闘争時は、労働組合の仲間と反対運動に打ち込んだ。高齢者下宿を経営していた2003年に自衛隊のイラク派遣が決まると、翌年、反対のメッセージを身に付け通勤した。

 そして今年9月19日の安保法成立。「多くの国民の意思とは逆に、戦前へ回帰している」と怒りを感じた。すぐにやめるつもりだったデモを「ここでやめたら死ぬまで悔いが残る」とその後も続けた。

 自分を見て、安保法に賛成する人が反対に回ることまでは期待していない。それよりも時が過ぎ、法成立直後の怒りが薄れつつある人に自分の存在を知ってほしい。「消えかかっている火を絶やさせないことが俺の役目」と語る。20年続けてきた高齢者下宿の経営を今年11月、長男に譲った。「ひまなじいさんだから、次の選挙までは続けたい」(報道センター 久保田昌子)


http://www.shinmai.co.jp/news/20151231/KT151229ETI090018000.php

フランスの悲しみや怒りは世界に届く。だがイスラムの人々の声を届けるメディアの声はあまりに小さい。〈だから私たちには、世界の半分しか見えていない。半分は明るく、半分は暗い半月を見るようだ〉

   ◆

反戦を貫き沖縄に寄り添った俳優菅原文太さんの一周忌に、辺野古基金の共同代表を務める妻文子さんが琉球新報に寄せた文章だ。影に覆われた側の人々を知ろうともせずテロに軍事力で臨めば〈憎悪と復讐(ふくしゅう)の灰が地にも心にも積もり続ける〉と結んだ

   ◆

テロへの恐怖が広がった1年である。11月にパリで同時多発テロが発生したフランスは、集会禁止や令状なしの家宅捜索などの非常事態宣言を発したまま越年する。5年前に難病で他界した英国の歴史家トニー・ジャットさんは著書「荒廃する世界のなかで」にこう書き残している

   ◆

私たちは不安の時代に突入した。不安は恐怖を醸成する(中略)人々はこぞって国家を頼みにし、指導者に保護を求め、安心のため自由を犠牲にするだろう、と。見立て通りに雪崩が起きている。フランス政府は治安対策のために憲法改定を閣議決定した

   ◆

それでもこの国らしく「国民の自由を危機にさらす」と批判噴出という。日本はどうか。国内テロの発生を8割が不安視との世論調査も。サミットや五輪を理由に走りだせば一直線なのか。影に覆われた半月の声にこそ耳を澄まさないと。
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自ら招いた禍を、勝手に「テロ」と呼び。国民の不安と恐怖を煽り、それに乗じて為政者の権力を際限なく拡大し、国民の権利を際限なく封じる法律を作ろうと企む。そんなことが先進国と呼ばれる国で、そしてこの日本で着々と進められています。黙っていては、われわれは権利をみすみす失います。来年は「申年」です「物申す」年にしましょう。

http://www.shinmai.co.jp/news/20151231/KT151229ETI090007000.php

 2015年が暮れてゆく。振り返ると、安倍晋三首相がいよいよ「らしさ」を発揮し始めた年だったと言えるだろう。

 首相は「憲法違反」とする学者らの声を振り切って、集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法案を成立させた。

 施行から1年が過ぎた特定秘密保護法は政府の意思決定のプロセスを秘密のベールの向こうに隠している。法案審議のときから心配された通りの展開だ。

   <民間への口出し>

 経済政策では民間に対し政府が口出しする場面が増えた。

 政労使会議や「官民対話」で企業に対し繰り返し、賃上げや設備投資を促している。女性活躍推進法は企業に女性管理職登用の数値目標設定を義務付けた。

 首相が使う言葉の一つに「瑞穂の国の資本主義」がある。首相によると、強欲を原動力とするのではなく、道義を重んじ真の豊かさを知る日本にふさわしい市場主義の形なのだという。

 首相の手法は全体に国家主義的な色彩が濃い。国家=政府が前面に出て事を進めていく。祖父である岸信介元首相の政治スタイルとの類似を指摘する人も多い。

 首相は自らの国家観を著書「新しい国へ」に書いている。

 「個人の自由と国家との関係は、自由主義国家においても、ときには緊張関係ともなりうる。しかし、個人の自由を担保しているのは国家なのである」。国家の機能が他国の支配によって停止させられれば個人の自由も制限されてしまうではないか、と。

 国家が国民の自由を守る―。憲法の教科書では「国家による自由」と呼ばれる側面だ。

 個人と国家の関係には、実はもう一つの側面がある。「国家からの自由」。主権者である国民には国家による強制や干渉を拒む権利がある、との考え方だ。

 日本の憲法には、思想・信条の自由、学問の自由、表現の自由など「国家からの自由」についての手厚い規定がある。

 政府は2月、シリア取材を計画していた新潟市在住のフリーカメラマンに旅券(パスポート)の返納を命じて渡航を阻止した。旅券法の生命保護規定に基づく命令とされた。憲法が保障する「渡航の自由」との兼ね合いで議論を呼んだケースだった。

 先の戦争で国民は政府の言うがまま戦場に駆り立てられた。

 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し…この憲法を確定する」。憲法前文である。戦後日本社会の仕組みは国家主義の過ちの反省に立っている。

   <沖縄からの問い>

 首相は以前、国会で述べている。国民の人権、自由を守るのは国家、との持論を展開したあと、「その国家自体の危機が迫るときは国民の皆さまにも協力をしていただかなければ」。

 「国民のための国家」はひとつ間違うと「国民は国家のため」に反転する。その危険性がこの答弁からも読み取れる。

 自民党が3年前に発表した改憲草案には緊急事態条項がある。首相が宣言すると、内閣は法律と同じ効力を持つ政令を発することができる。国民は従う義務を負う。憲法停止に近い状況になる。

 首相の言う「国家による自由」の内実が鋭く問われているのが、沖縄・普天間飛行場の問題だ。県民の意思を無視して辺野古移設を進める政府に対し、沖縄県が裁判で争っている。

 法廷での翁長雄志知事の言葉が重く響く。「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々と価値観を共有できるのか」

   <針路決める参院選>

 終戦の4カ月前にフィリピンで戦死した若き詩人、竹内浩三の「骨のうたう」を思い出す。

 〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや/だまって だれもいないところで/ひょんと死ぬるや…〉

 国家=政府が戦争を決断したとき、国民は「ひょんと死ぬ」ことを覚悟するほかなかった。70年余り前のことである。

 憲法学者奥平康弘さん、哲学者鶴見俊輔さん、漫画家水木しげるさん、作家野坂昭如さん…。今年亡くなった人たちだ。生涯を通じ国家とは何か、国家とどう向き合うかを問い続けた。

 水木さんの口癖「怠け者になりなさい」は、国や世間が何を言おうと自分を大事にせよ、との意味にも受け取れる。

 野坂さんは亡くなるその日まで月刊誌に日記スタイルの随筆を書いていた。最後の日、12月9日付はこの一文で結ばれている。

 「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」

 来年は参院選の年だ。与党が勝てば首相はいよいよ憲法改定を視野に動きだすはずだ。

 来年は憲法公布70年の節目でもある。改憲への歩みを止めるために政治の動きを厳しく見守ろう。

http://ryukyushimpo.jp/column/entry-196813.html

 本題と外れた“ゆんたく”に人柄や生い立ちが表れることはよくある。作家の半藤一利さんは沖縄を訪ねたことがないという。理由は「出るんですよ」

▼「戦士の遺書-太平洋戦争に散った勇者たちの叫び」の執筆中は3人ほど出てきたそうだ。「コツン、コツンと階段を上がる音がして、上から霊ががーっとかぶってくる。『分かった、きちんと書きますから』と大声で叫んで起こされる」
▼東京は向島の出身。15歳で東京大空襲を経験した。焼夷(しょうい)弾が風を切り、ごう音とともに炎がたけり狂った。焼け死んだ人々の間を逃げた。戦後も向島に泊まると出るのだそうだ
▼戦後70年たっても体験者の記憶は鮮やかだ。戦後の人生にも大きな影響を与えた。「なぜこの戦争が起きたのか」-。半藤さんは焼け跡で抱いた疑問を「日本のいちばん長い日」「昭和史」などの著作に結実させた
▼ことしの元日、小欄で「昨年は決断の年、ことしは決断の覚悟を示す年」と書いた。翁長雄志知事は沖縄の覚悟を内外に示した。「辺野古新基地を造らせない」という言葉によって
▼越年する法廷闘争。新たな年は沖縄の思いを主張する年となろう。辺野古を「唯一の解決策」とする政府に対抗して。「なぜ、沖縄は戦後70年たっても多くの米軍基地を負担し続けなければいけないのか」。疑問は解けないまま、2015年は暮れる。


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