ttammakko24のblog

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2015年08月

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163228/1

http://static.nikkan-gendai.com/img/article/000/163/228/d4160a411f34298e1631f57f4a57dddf20150829141747133.jpg
会見でフォントの説明をする佐野氏(C)日刊ゲンダイ

 どこに「大きい日の丸」があるのだろうか。東京五輪のエンブレム問題で、大会組織委員会は28日、佐野研二郎氏(43)がコンペに提出したデザイン原案を初めて公表。使用差し止め訴訟を起こしたベルギーの劇場ロゴとの類似性を改めて否定したが、原案公表によって、新たな疑惑が浮上している。

 佐野氏本人が説明してきたエンブレムの「デザイン・コンセプト」が、原案には全くと言っていいほど、反映されていないのだ。

 5日の釈明会見でも、佐野氏はアルファベットの「T」のフォントから、1964年の東京五輪で亀倉雄策氏が制作したエンブレムの「大きい日の丸」を落とし込むという独自の着眼点を強調。ベルギーの劇場ロゴとは「デザインに対する考えが全く違うので、全く似ていない」と訴えた。

 確かに完成形は、向かって左上と右下のパーツが弧を描いているため、大きな白い円が全体を覆っているように見えるが、原案を見ると……。

「ちっとも“大きい日の丸″は浮かんできませんよね。今回の組織委の弁解も、『原案には似ているデザインが見つかったため、修正をお願いしたら、今度は別のデザインと似ていた』と言っているようなもの。ますますオリジナリティーに疑念を抱かせるだけです。そもそも言葉に頼らないのがデザインの本質。これ以上、能書きを垂れるのはやめた方がいい」(大阪芸大教授の純丘曜彰氏=芸術計画学科)

 コンペ後のデザイン修正で、コンセプトまで変えられるのだとしたら、コンペ自体の意義が失われる。実際、五輪エンブレムの審査委員の1人は、「審査で選んだのは原案」として、現在のエンブレムの承認を拒否しているという。

http://tanakaryusaku.jp/2015/08/00011866

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警察の規制線決壊。議事堂へ向かって前進する若者たち。=30日午後1時40分 写真:筆者

 戦争法案に反対する人々の怒りが警察をはね飛ばした。
 予兆は正午頃からあった。国会議事堂正門前に向かう参加者は引きもきらず、身動きが取れないほどになっていた。
 警察は参加者を内側へ内側へと押し込めた。「窒息者が出たらどうするんだ?」。筆者は警察に抗議した。
 それでも警察は中へ中へと参加者を押しやった。寿司詰め飽和状態へと達していた。
 「龍作さん、決壊した!」。友人のカメラマンが怒鳴った。数えきれないほどの市民が国会議事堂前の車道に出ている。
 午後1時40分。警察の規制線が決壊したのだ。

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国権の最高機関前は人々の怒りで埋め尽くされた。=30日午後2時30頃 写真:筆者=

 「アベは退陣、アベは退陣」。シュプレヒコールをあげながら若者たちが先導した。警察は懸命に抑え込もうとしたが、洪水となった人々を抑え込むことはできなかった。
 両側で10車線の広い車道は、戦争法案に反対する人々で埋め尽くされた。
 日比谷公園の集会を終えた市民も続々と押しよせた。「10万人国会包囲」は現実のものとなったのである。

 30年余り続いたエジプトのムバラク独裁政権を倒した「タハリール広場」の集会(2011年1~2月)のように、国会前を占拠し続ければ、安倍政権は倒れる。
 
 ~終わり~
 

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http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/index.html

 敗戦から半月後の1945年8月30日。連合国軍最高司令官ダクラス・マッカーサーは専用機「バターン」号で神奈川県の厚木飛行場に着陸した。ぱっくり開いた昇降口からコーンパイプをくわえ飛行場の芝生に降り立ったと当時の本紙は報じた▼この日から5年8カ月にわたり、無条件降伏した日本に最高権力者として君臨し、戦後の民主化政策のレールを敷く。「日本の戦後史の鋳型」が形成される経緯は袖井林二郎著「マッカーサーの二千日」(中公新書)に詳しい▼特高警察の廃止や財閥解体、学制改革などを矢継ぎばやに進め、象徴天皇や戦争放棄の理念を盛り込んだ新憲法も制定させた。安倍晋三首相が毛嫌いする「戦後レジーム(体制)」は、この「鋳型」を指すに違いない▼最近は「戦後レジームからの脱却」とは声高に語らぬが、悲願の自主憲法も、一連の教育改革も、目下の安全保障法制も同じ流れにある▼戦後生まれが人口の8割を超え、占領下の記憶は薄れつつある。でも国民の多くは戦後の復興と平和日本の歩みに誇りを抱いてきたのではないだろうか。それゆえに、急激な「鋳型」のぶち壊しに戸惑いを禁じ得ない▼きょう、あの日から70年を迎える。「最高責任者は私だ」と君臨している為政者の振る舞いが気掛かりな昨今である。

[京都新聞 2015年08月30日掲載]

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-08-30/2015083001_05_0.html

 「こうやって路上に立つことは恥ずべきことではありません。私は後悔して、声を押し殺して泣くようなことはしたくはない」。23日のSEALDs(シールズ)の行動での女子学生の胸打つスピーチの一節です▼この決意を聞いて、79年前スペイン内戦でドロレス・イバルリが発した「ひざを屈して生きるより、立ちはだかって死のう」というよびかけを思い出しました。内戦が始まった翌日、ラジオで流れたスペイン共産党の女性指導者の言葉です▼イバルリはつづけて、歴史に残るスローガンでたたかいを励ましました。「ノー・パサラン!」(奴(やつ)らを通すな)。以来、新聞で集会で、マドリードの通りに渡した横断幕で繰り返し使われ、反ファシズム闘争の合言葉になりました▼「奴ら」とは誰か。1936年の総選挙で勝利した人民戦線政府の転覆をはかろうとした、フランコ将軍率いる反乱軍です。ファシスト国家の独、伊から大量の武器援助を受けたファシストたちです▼ノー・パサランは、1979年にニカラグアの独裁政権を倒したサンディニスタ民族解放戦線のテーマソングの一つにもなりました。「我々が勝つのだ、愛(いと)しい人よ/奴らを通しはしない…たとえ私たちが一緒でなくても君に誓うよ/決して奴らを通しはしないと」(八木啓代訳)▼「ノー・パサラン」「奴らを通すな」はいま、戦争法案を通すなの熱い思いを込めて、SEALDsのコールの中で叫ばれています。きょう全国で、同じ思いをもった100万人が声をあげます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-08-30/2015083015_02_1.html


http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-08-30/2015083015_02_1.jpg
(写真)日本科学者会議の原発問題シンポジウム=29日、東京都内


 東京電力福島第1原発事故から5年目の夏、原発再稼働と加害者責任をテーマに、科学技術と社会科学の両面から議論するシンポジウムが東京都内で開かれています。29日は約70人が参加し活発に討論しました。主催は日本科学者会議原子力問題研究委員会。

 九州電力が再稼働を強行した川内原発の地元から参加した木下紀正鹿児島大学名誉教授が、火山噴火の危険性、地域防災の問題点を報告しました。各地の参加者が、東海第2、浜岡、志賀、高浜など各原発の再稼働をめぐる現状、科学者会議による活断層調査、住民運動や原発訴訟の成果などを紹介しました。

 日本原子力研究開発機構で長年、原発の安全解析をしてきた田辺文也・社会技術システム安全研究所長は、福島事故について▽2号機格納容器は地震に耐えられなかったのではないか▽2、3号機で事故時の操作の手順書が参照されずに炉心溶融に至ったのではないか―という疑問点を提起。未解明の重要課題を残した再稼働について「科学的合理性の立場に反する」と批判しました。

 原発メーカー設計技術者だった後藤政志さんは、国の審査の対象外とされた、溶融燃料による水蒸気爆発の危険性を指摘。「現在の原発は基本的な問題解決ができておらず、対症療法的にやっている」と述べました。
 舘野淳・元中央大学教授(核燃料化学)は原発が抱える根本的な危険性を解説し、「新規制基準は、現存の原子炉を救済するためのつぎはぎの弥縫(びほう)策だ」と指摘しました。
 30日のテーマは、原子力損害賠償制度や金融機関の破たん処理からみた原発事故の責任論など。午前9時半~午後1時、日本大学歯学部2号館(東京都千代田区)で。

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