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気になるニュースを転載しています。

2014年02月

http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2014/m02/r0227.htm

「総論賛成、各論反対。その先に待っていたのは身動きの取れない固着状態」。環太平洋連携協定(TPP)交渉の閣僚会合は、日米間の難航分野の対立が解けず「大筋合意」を断念して閉幕した。
 甘利明TPP担当相は「決裂でもなく漂流でもなく、次に向けた良い前進ができた」と述べた。しかし、具体的な打開策は見当たらず、交渉の長期化が濃厚だ。
 昨年12月に続く2度目の妥結先送りは、参加12カ国の「同床異夢」の実態を浮き彫りにした。交渉そのものの意義が大きく揺らいでいるというべきか。
 日米協議の停滞が全体合意の進展を阻んだ。一向に進まない日米協議に他の参加国は不満を募らせ、交渉の空中分解も懸念された。
 日本は牛・豚肉の関税を引き下げるギリギリの譲歩案を準備していた。
 仮に関税が引き下げられた場合、高級銘柄でない低価格帯の国産肉は、価格面で優位に立つ米国産やオーストラリア産の輸入肉と競合する可能性が高い。
 牛肉関税の収入は畜産農家への支援の原資に充てられている。約700億円ある牛肉関税収入が、関税引き下げで目減りすると支援事業の見直しにもつながる。畜産農家に影響が出るのは必至だ。
 米国の姿勢は相変わらず、かたくで結局、カードは切らなかった。
 米国が態度を軟化させない限り、交渉はデッドロックから抜け出せない。米国が強硬姿勢を貫くなら日本も「聖域」と位置づけ、関税死守を目指すコメ、麦、乳製品など「重要5項目」の関税維持を堅持すべきだ。
 「重要5項目」については「関税を守る」との国会決議もある。「10年を超える期間をかけた段階的な関税撤廃」も認めないと明記している。これ以上、強硬な米国に対し、譲歩する条件を示せば足元を見透かされる。
 世界第1位と第3位の経済規模を持つ米国と日本は、交渉参加国の中で群を抜く存在だ。その両国が折り合えなくては、交渉決着のめどが立たず、ほかの国同士の交渉進展も望めない。
 次の節目は4月下旬に予定される日米首脳会談だ。局面打開の焦点となる。しかし、トップ同士の会談が物別れに終われば、交渉は一気に推進力を失い「振り出し」に戻る可能性がある。
 それもありだろう。もともと20を超える広範な分野で参加国の「最大公約数」を探る作業は困難が予想された。
 しばし、冷静になってTPPとは何なのか、協定合意によってTPPの「果実」は日本に何をもたらすのかを今一度、問い直したい。

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=63679

「手紙が無理なら電話でもいい 金頼むの一言でもいい お前の笑顔を待ちわびる お袋に聞かせてやってくれ」。さだまさしさんの「案山子(かかし)」は離れて暮らす肉親への思いを映す

 ▼その愛情を逆手に取った詐欺がはびこる世は悲しい。同じ人から続けてお金をだまし取ることをおかわりと呼び、だまされる方が悪い、と言ってのける。NHKスペシャル取材班の『職業“振り込め詐欺”』は、格差社会が生んだ怪物の生態を暴いている

 ▼振り込まれた金を口座から引き出す出し子、金の運び屋、電話をかける実行犯、そして主犯格。連絡は一方通行で、出し子が逮捕されても主犯格には、捜査が及ばない

 ▼暴利をむさぼる「上」とその日の糧を得るために片棒をかつぐ「下」。犯罪組織の中には、天と地ほどの格差が存在していた

 ▼昨年の振り込め詐欺などの特殊詐欺の被害総額は約486億9千万円で過去最悪となった。でも県内では被害件数も被害額も減った。高齢者の被害が18件から3件となり、おれおれ詐欺は0件

 ▼各金融機関は窓口で異変を感じたら事情を聞いて、振り込まないよう説得する取り組みを重ねてきた。罪悪感のかけらもなく人生をもてあそぶ連中がいる一方で、お年寄りら利用者を守ろうと心を砕く職員のまなざしがあることに救われる思いがする。(具志堅学)

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=63739

政府は、中長期的なエネルギー政策の指針となる新たなエネルギー基本計画案を決めた。原発を「重要なベースロード電源」と位置付け、原発再稼働を進める方針だ。

 政府は、与党との協議を経て3月中の閣議決定を目指している。だが政府案には、根強い脱原発の世論が反映されているとは言い難い。東京電力福島第1原発事故では、いまだに多くの人が避難生活を余儀なくされ、汚染水漏れが続いている。国民の不安を置き去りにした原発維持政策は、到底認められない。

 国会答弁などで原発再稼働に前向きな姿勢をにじませていた安倍晋三首相の意向が反映されたものだろう。しかし、自民党は2012年の衆院選で「原子力に依存しない社会の確立」を公約に掲げた。政府案は明らかに公約に違反している。党内からも公約との整合性に関して異論が出ているのである。

 政府は昨年12月、基本計画の素案をまとめた。しかし、東京都知事選で脱原発が注目されたことから、1月の閣議決定を見送った経緯がある。さらに当初案の「基盤となる重要なベース電源」との原発の位置付けに、与党内から原発色が強すぎると異論が出て、経済産業省が修正を進めていた。

 「重要なベースロード電源」と変更したことについて同省は「常時一定量を発電するベース電源の概念を分かりやすくした」と説明するが、これでは単なる言い換えではないか。茂木敏充経産相は会見で、当初案と「基本的に方向性が変わったとは認識していない」と述べている。

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 政府案では「原発依存を可能な限り低減する」としている。だが、低減への道筋や原発比率などは示されず、あいまいだ。むしろ、原子力規制委員会の規制基準に適合した原発について「再稼働を進める」とし、安定供給やコスト低減などの観点から「確保していく原発の規模を見極める」とするなど、原発維持に前のめりの内容だ。

 電力会社が再稼働に向け原子力規制委に審査を申請した原発は10原発17基に上る。だが、再稼働への地元や周辺住民の不安は大きい。

 四国電力が再稼働を目指す伊方原発(愛媛県)について共同通信などが今月、四国4県の住民に行った電話世論調査では、原発を「不安」「やや不安」とした人は計86・9%に達した。東北電力女川原発(宮城県)を再稼働せず廃炉にするよう求める住民らは、10万筆を超える署名を県に提出している。

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 現行のエネルギー基本計画は東日本大震災前の10年6月に策定された。原発について「原子力は供給安定性、環境適合性、経済効率性を同時に満たす基幹エネルギーである」と位置付けている。

 福島第1原発事故の現状に照らすと、これらはいずれも当てはまらないことが証明された。政府案には福島の原発事故の影響が考慮されているとはとても思えない。

 原発の過酷事故の教訓をくみ取らないままのエネルギー政策は、民意に背を向けるものだ。

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=63674

「平和国家」として歩んできた日本の姿を国際社会に示す国是ともいうべき「武器輸出三原則」が見直され、骨抜きにされようとしている。

 安倍政権が従来の三原則の代わりに導入する新たな指針案の内容が明らかになった。従来の三原則が禁輸先として明示していた「共産圏」「国際紛争の当事国」の二つを削除する見通しという。

 昨年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」に三原則の見直しが明記されているが、国会論議がほとんどないまま、3月中の閣議決定を目指している。平和主義の大切な理念の一つがなし崩しにされ、日本が国際社会から勝ち得ていた信頼を揺るがしかねないことを強く危惧する。

 「国際紛争の当事国」の削除は、紛争当事国間で日本の武器・技術が使用されるということだ。国際紛争に日本が関与することを意味する。武器が第三国に流出し、紛争が拡大する懸念も消えない。

 新指針案は、国際的な平和や安全の維持を妨げることが明らかな場合は輸出しない-ことなど3本柱を挙げているが、厳密さに欠け、これで歯止めをかけることができるのか大いに疑問だ。

 三原則は佐藤栄作首相が1967年、(1)共産圏(2)国連決議で武器輸出が禁じられている国(3)国際紛争の当事国-への武器輸出を認めないことを打ち出した。さらに三木武夫首相が76年、全面的に慎む方針を示し、禁輸は拡大した。

 だが、83年に中曽根康弘首相が米国への武器技術供与を認めて以来、その都度、例外として禁輸の緩和が進んだ。民主党の野田政権でも大幅緩和をしたが、今回はこれまでとはレベルが全く違う。

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 政府の新指針案を後押ししているのが防衛産業界である。日本の平和主義の象徴の一つである武器輸出三原則の見直しに前のめりの安倍政権と経団連傘下の防衛産業が官民一体となっている構図だ。

 計60社でつくる経団連の防衛生産委員会が政府の新指針案に先立ち今月中旬、三原則を大幅に緩和すべきだとする提言を自民党に提出した。国産品の輸出を広く認めることや政府に武器輸出を専門とする部署を設置すること、大規模な国際共同開発は国が主導するよう求めている。

 安倍政権に呼応する動きだが、平和憲法に基づく三原則をないがしろにし、防衛ビジネスを優先するあまり、戦後、日本が国際社会の中で積み上げてきた平和国家としての地位を傷つけかねないことを認識しなければならない。

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 武器輸出三原則の見直しについて国民的合意は得られているのだろうか。

 共同通信社が今月実施した全国電話世論調査によると、三原則の緩和に反対する人は66・8%に上り、賛成の25・7%を大きく引き離している。日本が輸出した武器が国際紛争地で使用され、紛争に関与することへの懸念が如実に示されていると、安倍政権は受け止めるべきだ。

 三原則は平和国家、日本を体現するものである。歴代政権が営々として築いてきた大原則を、ビジネス優先で、捨て去ることは許されない。

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20140103_01.htm

http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20140102012jd.jpg
上空から見た浪江・小高原発の計画地。左上は南相馬市小高区浦尻、右上は福島県浪江町棚塩
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20140104019jc.jpg

http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20140102014jd.jpg

◎基準額超で用地買収

<鹿島からの依頼>
「このままでは浪江・小高原発ができない。カネに糸目を付けず、反対派の土地を買収してくれないか」
中部地方の土木会社の元幹部は、旧知の大手ゼネコン鹿島の役員と仙台市内で会い、そんな依頼を受けた。東北電力が新潟県巻町(現・新潟市)に建設を目指した巻原発計画が住民投票の結果、頓挫しつつあった1995~96年のことだ。東北電浪江・小高原発(計画中止)も、反対派地権者の抵抗で用地取得は難航を極めていた。
「こちらは東北電力の方」。鹿島の役員は同席していた男性を紹介したが、男性は自分からは名刺を出すことも、名乗ることもなかった。
土木会社の元幹部は「やましくて名乗ることができなかったのだろう。電力が自ら地権者と約束した買収基準額を超える不当な買収をするよう、鹿島を通じて頼んだわけだから」と振り返る。
土木会社は同原発の主要工事の受注を確実にしていた鹿島からの下請け受注を期待し、土地買収の裏工作資金として約10億円を用意した。
資金は、地元で反対派の切り崩しを担う福島県浪江町の不動産会社に渡り、土木会社の現地担当者も加わって買収工作が始まった。

<5億の損かぶる>
最重点は、地元で反対運動を長く指揮していた男性(故人)の所有地。「トップが落ちれば、ほかの地権者も次々に土地を手放すだろう」(不動産会社関係者)と見込んでいたからだ。
不動産会社は、この反対運動指導者の男性が97年2月に亡くなるまでに、同町棚塩の山林などを1億円近くで買い取る約束を取り付けた。不動産会社の関係者によると、男性の土地は、東北電が国土利用計画法に基づいて地権者代表と合意した買収基準価格では、約4000万円相当だった。
土地登記などによると、山林などの所有権は男性の死後に相続した家族から不動産会社に移り、すぐに須賀川市の女性に転売。東北電は98年5月、この女性から土地を購入した形になっている。
土木会社の元幹部は「反対派から買い上げた土地は最終的に、うちの社の関係者の個人名義にして、東北電に基準額で売った。10億円で土地を買って、東北電に5億円で売った格好。5億円の損をかぶって、東北電の手が汚れないように、土地取引の体裁を整えた」と明かす。

<東北電力は否定>
反対運動指導者が買収に応じたことで、ほかの反対派地権者も相次いで土地を売った。全国の反原発運動の中でも、固い結束で知られた地元農家による「原発から土地を守る運動」は、巨額の土建マネーの流入で事実上崩壊し、東北電は福島第1原発事故前までに、計画地の98%を取得した。
関係者によると、土木会社の現地担当者は、東北電の建設準備責任者と頻繁に会い、土地買収の経過などを詳細に報告していたという。
東北電は河北新報社の取材に「土地は全て買収基準額に基づき取得した。鹿島や他の会社に用地の取りまとめを依頼した事実はない」(広報・地域交流部)と話している。

東北電浪江・小高原発の用地取得をめぐり、中部地方の土木会社が約10億円の裏工作資金を提供していたことが、関係者への取材で明らかになった。1968年の計画発表から四半世紀の間、反対派地権者の運動で膠着(こうちゃく)状態が続いた用地買収は巨額の土建マネーの流入で一転、水面下で大きく前進していた。原発立地の障害だった反対運動の切り崩しで、原動力になった巨大利権の痕跡をたどる。
(原子力問題取材班)

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第11部・浪江・小高の汚点(中)欲望の痕跡/「工事受注の担保だ」

http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20140103024jd.jpg
中部地方の土木会社と地元不動産会社の経営者家族が原発計画地内に共有している山林の土地登記謄本(画像は一部加工しています)
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20140104018jc.jpg

◎土木会社、計画地所有

<複雑な土地取引>
東北電力浪江・小高原発(計画中止)の用地取得をめぐり、中部地方の土木会社が巨額の裏工作資金を投入した痕跡は、今も計画地に残されている。
福島県浪江町棚塩東原116番。山林644平方メートル。土木会社と地元で反対派地権者の土地買収を担った不動産会社(浪江町)の経営者の家族がともに所有者として、登記簿に名を連ねている。
土地は原子炉建屋の建設が計画された場所の近く。同原発の計画地はほぼ東北電が買収済みなのに、そこだけ穴が開いたように未買収のままだ。
土地登記によると、この土地は不動産会社が反対派から取得し、1998年7月に土木会社の現地担当者に転売された。さらに翌99年には、不動産会社の経営者家族が、その二分の一を譲り受けるといった複雑な経過をたどっている。
土木会社の元幹部は「あの土地がなければ原発は建てられない。工事の受注を確実にするための担保だった」と証言する。
所有権は昨年4月、現地担当者の退職に伴い、土木会社の本社に移った。登記簿には、所有権移転の原因として「真正な登記名義の回復」と記されている。

<登記簿に「功績」>
一方、この土地を共有する不動産会社にも、用地買収に協力した痕跡を残しておきたい理由があった。
経営者の家族は「反対派の土地をまとめたことで、東北電にはとても感謝された。社員の人から、関連事業所が必ず進出するからと、周辺の土地を買っておくように勧められ、警備業者が買い取りそうな場所を購入した」と振り返る。
同社が2002年に購入した土地は、原発計画地につながる最も大きな道路に接する約5200平方メートル。道路は原発へのアクセス道として東北電の費用負担で整備された町道だ。
原子炉建屋近くの土地を土木会社と共有し続けた背景には、将来、こうした土地の売買で東北電から有利な取り計らいが期待できるとの思惑があったとみられる。
644平方メートルの山林は今でも、東北電に対し、反対派地権者を裏工作で切り崩した両社の「功績」を見せつけているかのようだ。

<「回答は控える」>
東北電広報・地域交流部は、この山林をめぐる経過について「第三者間の取引なので承知していない」と回答。未買収のままになっている理由については「個別事案の回答は差し控える」と説明を拒否している。
反対派の土地買収を担った不動産会社に周辺の土地取得を勧めたことについては「そのような事実はない」と否定している。
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第11部・浪江・小高の汚点(下)現金攻勢/一坪運動の拠点陥落

http://www.kahoku.co.jp/img/news/2013/20140104039jd.jpg
浪江・小高原発計画地の海岸線。裏工作資金10億円を提供した土木会社と、反対派切り崩しを担った地元不動産会社の経営者家族が共有する山林がある
◎「この土地がヤマ場」

<難攻不落の山林>
東北電力がほぼ買収を終えていた浪江・小高原発(計画中止)の計画地内で、中部地方の土木会社と地元不動産会社の経営者家族が共有する福島県浪江町棚塩の山林は、かつて「難攻不落」と言われた同原発反対運動の中でも、最強の砦(とりで)と目されていた。
もともとの所有者は地元で長年、反対運動を指揮してきた男性(故人)。山林は1982年、双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎代表や漁業者、弁護士ら計13人に贈与され、「一坪運動」の拠点となっていた。
男性は原発計画が明らかになった68年に「浪江原発誘致絶対反対期成同盟」(後に棚塩原発反対同盟)を組織。(1)原発に土地を売らない(2)県、町、東北電と話し合わない(3)政党などと共闘しない-を大原則に、用地買収に抵抗してきた。

<裏工作後に異変>
一坪運動は地元で買収に応じる地権者が徐々に増えていた中、反対の意志を貫く人を町外からも募り、計画地の完全買収を阻止する狙いだった。
ところが、中部地方の土木会社から約10億円の裏工作資金が投入されると、一坪地主の間に異変が生じたことが登記簿から読み取れる。
96年には、この資金で土地買収を担った地元不動産会社の経営者に、持ち分を譲渡する共有者が現れ始めた。さらに反対運動指導者の男性が97年に亡くなると、遺族が残る11人から持ち分を譲り受け、間もなく、全てを不動産会社経営者の家族に「贈与」している。
1億円近くで男性の所有地を買い取った不動産会社経営者の家族は河北新報社の取材に、「現金は生前に渡していた。共有者を排除するのは大変だったが、この土地が最大のヤマ場だった」と証言する。
男性が自分の名義で所有していた土地の買収基準価格は約4000万円。破格の取引は、一坪運動の土地を譲り渡すことも条件になっていたとみられる。
この土地買収の経緯について、かつての共有者たちは今も堅く口を閉ざす。関係者によると、一坪地主を募る際に「土地を処分する際には(反対運動指導者の男性に)返還する」という約束があり、本来の持ち主の意思とあって、一坪地主たちも返還に応じざるを得なかったようだ。

<着工は阻み切る>
一般に「浪江・小高原発を食い止めた」と評価されている反対運動も、その末期には巨大利権を背景にした現金攻勢にさらされ、事実上崩壊していた。
ただ、全国の反原発運動が党派的な対立などから分裂、弱体化した中で、浪江・小高原発の反対運動は「農民による農地を守る運動」として長く勢力を維持し、東日本大震災の発生まで着工を許さなかった事実は重い。
東北電が地権者代表と買収基準価格で合意した95年2月時点で、浪江・小高原発は2004年度の運転開始を目指していた。

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